ぺんぎんメモ

江戸時代庶民の暮らしは豊かだったが、明治以降徐々に貧しくなった

time 2017/02/27

「明治維新は必要だった、あのまま鎖国をし続けていたら列強諸国に植民地にされていた」などと、多くの文献には書いてありますし、義務教育でもそう教えられます。

それは江戸時代末期に、日本列島が他国に占領され植民地にされてしまうという脅迫的思想が主流を占めていたためでしょう(どこからそうした情報が寄せられたのか、意図的に誰かが持ってきたのかは不明ですが)。

確かに、見たこともない巨大な軍艦が突然来れば驚きますし、薩摩藩や長州藩は列強諸国と小戦争もしていましたから、このままでは危ないという感覚はあったと思います。

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明治維新を正当化?

ただ、日本列島には広大な国土もなければ資源もありません(その当時あったのは少量の金銀や豊かな自然、文化、そして人々の素養くらいでしょう)。

そんな中で「植民地支配から日本列島を守るために開国しなければならない」、「欧米列強諸国に習って軍備増強する必要がある」、「日本は遅れている」、「文明開化や富国強兵をしなければ植民地化される」という偏った思想をもつのは不自然です。

同時に、それまで培った風土や文化の多くを捨て去ったことも異常です。

そして明治維新の結果、他国との幾度もの戦争に突き進んで、多くの庶民の命を奪うことにも繋がりました。それは今も多くの庶民に傷跡を残しています。

それゆえ、明治維新で行われたことは何だったのか、そして明治維新が行われた結果として、江戸時代から明治時代になって庶民の生活はどう変わったのかについて知る必要があると思うのです。

江戸時代の庶民生活

江戸時代は県ではなく藩ごとに地域を治めていたため、多くの庶民に国民という意識はほとんどなく、住んでいる土地に国という意識はなかったはずです(今でも他国の情報を得る時や、外国滞在時、オリンピック時くらいしか日本人という意識は持たない人が多いと思います)。

藩単位の暮らしが基本なので、豊かな土地を持ち藩主が利発な藩に暮らす庶民は、豊かな暮らしができたといえるでしょう。逆にそうでない場合や自然環境が厳しい土地を持つ藩は、暮らしている庶民もあまり豊かではなかったかもしれません。

日本列島の生活は均質的ではなく地域差がかなりあったようなので(『日本の歴史をよみなおす(全)』網野善彦著より)、一概に豊かだったとは言えません。

が、それでも江戸時代(~明治時代前期)は、明治時代(明治時代中期~)に比べればどこの地域も豊かだったようです。

とはいえ、江戸時代は今と違い、お金ではなくお米が全ての基準で経済が回っていましたから、納税もお米で行っていました。

と同時に、お米以外に農作物や工芸品を作って販売することに規制がなく、作ったものを自由に販売できたことで蓄財もできたので、人々の暮らしは概ね豊かだったといえるのです。

江戸時代は男尊女卑ではない

お隣の国韓国では、女性を奴隷のように扱ってきた男尊女卑の歴史がありますが、日本ではそのような風土が確立されたのは明治以降と言われています。

それは江戸時代の日本を見た外国人が、日本列島に住む女性が朝鮮半島に住む女性とは異なった扱いを受けていることを指摘している点からも明らかです。

江戸時代にも建前的には男尊女卑であったようですが、女性は離婚を繰り返し行いながらも社会的に差別されるようなことはなかったようですから、実際の生活では力を持っていたといえるでしょう。もちろん地域差はあると思いますが。

なぜそうした事実が公になっていないのかは、明治維新時に明治政府によって歴史の書き換えが行われたためなのか、明治時代以降女性を都合よく扱うためだったのかは分かりません。

ただ明治以降、福沢諭吉が女性を人身売買で他国に売り飛ばしたり、明治中期以降にできた民法の家制度によって男尊女卑という概念が生まれることになったりするなど、女性が江戸時代とは異なる扱いを受けるようになったことは確かです。

庶民を貧困化した重税

明治維新後、議会政治や貨幣制度、重工業の促進や義務教育制度、そして廃刀令や徴兵制など、西洋諸国に習った制度改革が行われていきました。

しかしながら、高いお金を払い講師を招いたり、工業化や機械化、軍事化を進めて技術を身に付けたりして西洋諸国に忠実に習ったところで、肝心の資源は他国にあるのですから輸入する必要があります。

同時に、当時世界各国の資源を管理しているのは資源を略奪した西洋諸国であり、そうした資源を輸入し加工するためには莫大なお金が必要となります。

特に軍事化を進めるにあたっては、外国から購入した武器や軍艦に莫大な国家予算を割いていました。

その予算の出どころは、庶民から徴収した高い税金であり、軍事化を進めれば進めるほど税金が高くなり、国民の生活が苦しくなっていった訳です。

当時国民の多くは農民でしたから高い税金を納めるために、食べるもの着るものが徐々に粗末に貧しくなっていくのは必然だったでしょう。

その結果、ちょっとした自然災害で飢饉が起こったり、人身売買や劣悪労働が頻発したり、未開拓な諸外国への移住に足を踏み入れざるを得ない人々が出てきたりしたのではないかと思います。

明治に始まった北海道開拓に際しても、(最初に現地に送られた労働者は囚人だったそうですが、その後禁止されて以降は)騙されて人身売買的に送られ、非人道的な労働に使役させられる人々が徐々に増えていきました。

これは、農民としては高い税金を納められないがゆえに、兵士になるか奉公に出るか開拓地の労働者になるかを迫られるほど、人々の生活が貧しかったことを表しているといえます。

江戸時代の身分に不満を持つ人々

明治維新を成功させるきっかけとなった薩長同盟ですが、これを結んだ薩摩藩(現鹿児島県)と長州藩(現山口県)には同じ田布施町という名前の町がありました。

そしてその町には北朝鮮系の人たちが住んでおり、2つの町の人々が共謀して日本人の転覆を図ったとも言われています。この2つの町の人々は江戸時代に穢多と呼ばれる身分の人々で、田布施町は朝鮮人集落だったようです。

そうした身分から抜け出すためにイギリスの手を借りて、同時に田布施町以外の薩摩藩・長州藩で力のある人を利用して、明治維新というクーデターを成し遂げることになったという説を個人的には有力視しています。

1871年に制定され1872年に編成された壬申戸籍(じんしんこせき)には、「皇族」「華族」「士族」「卒」「地士」「僧」「旧神官」「尼」「平民」「新平民」「非人」「穢多」などという「階級」が書かれていますが、賤民解放令後も部落の人々の戸籍には「旧えた」、「新平民」となどと付記されていたといわれます。

2つの田布施町の闇

山口県と鹿児島県の2つの田布施町からは、その後続々と政治的な有力者が現れることになりました。

山口県の田布施町出身者には、伊藤博文、 幸木戸一、 宮本顕治、 河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基、賀屋興宣がいます。そして岸信介、佐藤栄作、安倍晋三もこの田布施一味の末裔と言われています。

鹿児島県の田布施町出身者には、東郷茂徳や小泉純一郎の父・小泉純也がいます。

田布施町が関係しているかは分かりませんが、長州山口と薩摩鹿児島は明治以降日本列島を様々な形で支配してきました。

例えば日露戦争時には、実力ではなく出身藩によって部隊の隊長や出世の如何が決められいたという事実もあります。

それほど、この2つの県は強力に力を持って明治以降の歴史を築き、特に山口県は現在でも明治維新によって得た威光を振りかざしているように見えます。

孝明天皇以降の天皇

明治維新に最も深く関わる人物として挙げられるのが明治天皇です。

明治天皇の生母とされる中山慶子氏、つまり孝明天皇の種をもらった女性の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にあります。

しかしながら、この明治天皇の生母の墓を明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないという事実があるのです。

現在の中山家当主は「生母に関しては箝口令がしかれていて一切答えられない」と言います。

これは明治天皇が孝明天皇と中山慶子氏の子ではないことを表わし、明治以降の天皇や皇族に孝明天皇の血が流れていないことの証ともいえるでしょう。

とはいえ、明治時代には不敬罪という法律が公布され、天皇は神聖なものであるとして孝明天皇の死因や明治天皇の出自を調査する者には懲役を含む刑罰が科せられていました。

しかし、こうした法律をわざわざ発布すること自体が「明治天皇の出自が孝明天皇ではないこと」や「孝明天皇と本当の明治天皇が伊藤博文や岩倉具視によって消されたこと」を証明することになっています。

そうまでして隠さなければならない事実が明治天皇に関してある、ということなのでしょう。

戦後に、不敬罪が解除されるまで皇室に関する疑惑の追及は封印されていましたが、現在は『日本の一番醜い日』の著者である鬼塚英昭氏のように、タブーとされる天皇の正体に挑んでいる方もいます。

資源のない国を支配したかった理由

私は長い間、「植民地支配から日本を守るために開国や戦争をした」という論理に疑問を持ってきました。

開国や戦争をして得をするのは誰なのかという点で、それは日本列島に住む庶民ではなく、日本を地理的に利用する価値がある国や組織、そして軍需産業で儲かる国や組織だと思っていたからです。

欧米列強諸国は日本を工業化させることによって、軍需産業を活性化させる多くの物を売りつけることができます。と同時に、ロシアや中国などに近い日本列島を支配することは、列強諸国にとって非常に都合が良いことだったはずです。

一方で明治政府のメンバーにとっては、欧米諸国の資金や軍備が非常に魅力的に思えたと思います。そうやって、双方のニーズが合致したために明治維新を起こすことができたのではないでしょうか。

政府は、後世に明治維新の正当性を押し付けるために、「列強諸国による植民地支配から日本列島を守るため」という論理を庶民に植え付けています。

が、結局誰が得をしたかを考えると軍需利権関係者であり、そう考えると明治維新の正当性は薄れてきます。

つまり、明治維新は江戸時代の身分に不満な人々と欧米列強によるクーデターだったといえるのです。

誤った歴史観の植え付け

もちろん、開国によって工業化・機械化が進み、それまでは人手が行っていた危険・過酷なことも激減したと思います。

江戸時代の低い人権意識も変わってきたと思います。とはいえ庶民の犠牲者数でいえば、江戸時代よりも、悲惨な開拓や戦争があった明治時代以降の方が圧倒的に多いはずです。

江戸時代まで持っていた金銀や豊かな自然、文化、素養の高い庶民は、自分たちのことだけを考えていた人々や組織によって、明治~昭和に破壊されたといっても過言ではありません。

にも関わらず、それらを壊した相手や組織に対して、悪く思わせない誤った歴史観や精神性を植え付けられている多くの日本人=庶民がいます

多くの庶民は100年間で起きた歴史の流れによって生活環境が激変した結果、今も様々な形で傷つきながら生きているのです。

私は、明治以降に歩んだ歴史が現在の傷ついた大勢の庶民を生んだと思っています。人は人から生まれ、育ててもらって人になります。

であるならば、傷ついた人から生まれ育ててもらった場合には、傷ついた人になるのは必然でしょう。

今後、日本という国に住む庶民が豊かに幸せに暮らしていくためには、過去の歴史観を改めると同時に、人を真に大切に扱う風土を構築することが必須だと思っています。

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奨学金を返済しながら、移住・セミリタイア生活に向けて準備しているブログです。安全な食、倹約、生活環境への言いたい放題、旅行など実体験を踏まえてお届けします。

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