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明治になっても飢饉頻発 ― その原因とは

time 2017/03/06

江戸時代に飢饉があったことはよく知られていますが、明治時代に飢饉が頻発していたことはあまり知られていません。明治時代には、特に東北地方を中心に6回も起きています。

こうした飢饉が起きる原因となったのは、一体何だったのでしょう?

東北地方では、厳しい冷害などの自然環境、そして中央権力からの重税があったことが大規模な飢饉が起きた原因だと言われています。

近代史家の色川大吉氏も指摘していますが、東北地方は明治政府における地元民を酷使した非人道的な道路開発が行われたにも関わらず、たいした産業が発達しませんでした。

それは明治政府のメンバーに長州藩や薩摩藩ばかりだったことも影響していると思いますが、どうやら東北には明治政府が投資をしなかった歴史があるようです。大久保利通が港をつくろうとしましたが、失敗に終わっています。

そのため、東北に暮らす多くの農民は主要産業が第一次産業であったために、貧しい農民の多くが地租改正による重税が払えず、兵士となり戦争の犠牲者となった事実が多々あるようです。八甲田山での惨劇や北海道における開拓で犠牲になった人々には、貧しい東北の農民がほとんどだったといわれています(北陸や山陰の人々もいましたが)。

つまり、明治時代に起きた飢饉の主原因は、明治政府が国民の多く(農民)に重税を強いたうえ、その税金のほとんどを軍艦や武器購入など軍事力に使ったためだといえるのです。その税金をきちんと国民に還元していれば、酷い飢饉にはならなかったのではないでしょうか?

還元しなかった結果、兵士や奉公、過酷な出稼ぎ、人身売買、未開拓地への移住を余儀なくされた人々が、数多く出ることになったわけですからね。

当時、東北の多くの地域で一揆が起きており、特に南部藩では日本最大の一揆が起きています。そして、東北地方には今でも神事や民謡が数多く残っています。これらは、数え切れないほどの厳しい苦難を乗り越えなければならなかった歴史を示しているのではないでしょうか?

現在の学校教育では江戸時代の飢饉だけが強調され、明治時代の飢饉について触れられていません。それは、現政府にとって都合の悪いことがあるからなのでしょう。税金の使途におかしなものがある中で国民に増税を強いる現状は、どこか明治時代と同じ臭いを感じてしまいます。

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