ぺんぎんメモ

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宗教で救われるかは人それぞれ

time 2017/03/12

ヨーロッパを中心に信仰が厚いキリスト教。

聖書を両手に街頭に立つ人を見かけたり、街中でも教会やキリスト教系学校を目にしたりします。個人的には無宗教なので信じる人は信じればいいと思っています。

しかし、時々信仰を強制してくる人がいて辟易します…。

1人暮らしが長かったこともあり、自宅インターホン前で勧誘をされたことや聖書をポストに入れられたことは何度かあります。

ただそれだけでなく過去に、多くの親類を病気や不慮の事故で失った際、それまで見たこともない多くの宗教勧誘者が実家に続々と訪ねてきた時に、とうとう堪忍袋の緒が切れました…。

絶望の最中にいる人から、蜜を吸おうとする人達の心理状態が信じられませんでした。

確かに、救いを求めている人にとって必要な場合もあるのかもしれませんが、それを宗教でカバーするかどうかは人それぞれです。

そうした経験をして以降、それまで何とも思っていなかったほとんどの宗教に対して、何かしらのおかしさを感じるようになりました

ある世界的に有名な宗教を例に挙げると、過去植民地にした土地の先住民族に対して、布教者は「神の前では皆平等」と布教活動を行っていました。しかし、現実には先住民族を平等な人間として扱わず、過酷な労働で酷使しました

布教の内容とは違う思想で、先住民族を奴隷同然に扱っていた多くの国々には疑問を感じます。そうした宗教は、その時代の支配者に都合の良い思想のかたまりと思わざるを得ません。

日本ではその宗教は他国のように広まりませんでしたが、それは他に日本人にマッチした宗教があったこと以外に、宗教内にある教えの論理のおかしさなども影響していると思います。

とはいえ、どの宗教にも実際に救われている人が大勢いるのは事実ですから、現代にはそれぞれ存在意義があると思います。しかし、すべての人が宗教で救われないことも事実なので、悲しみのどん底の人間に対して布教活動をするのは改めて欲しいです。

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