ぺんぎんメモ

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「絆」「人と人との繋がり」という言葉が苦手

time 2017/03/23

東日本大震災以降、「絆」という言葉が多用されているように感じます。最近は良い意味で用いられているこの言葉ですが、語源は「犬や馬などの動物を繋ぎとめておく綱」であり、あまり良い意味ではありません。

つまり、絆には「繋ぎとめて離さない」という意味がある訳です。日本社会は、個人よりも社会や共同体を優先してきた歴史があり、この「繋ぎとめて離さない」意味も長年重要な位置を占めてきたことでしょう。

確かに、「繋ぎとめて離さない」=「絆」の論理のおかげで、厳しい自然環境下でも、閉鎖的村社会や共同体が生き残れた例は多かったと思います。

が、閉鎖的村社会や共同体における弱者は、常に辛く苦しい立場に追いやられている場合が多く、例えば男尊女卑社会における女性や、身分制社会における身分の低い層がそうです。

また「絆」同様、「現代は人と人との繋がりが希薄なので、過去のコミュニティや共同体を取り戻す必要がある」という内容も耳にします。

しかし、「人と人との繋がり」を取り戻そうとするのは間違っています。それは、良い面よりもそうでない面が多いと思うからです。

皆が貧しかった時代・価値観が画一化された時代においては、そうした「繋がり」を重視するのも良かったかもしれません。が、現代はそうした時代ではありません。

価値観・生活環境が多様化するとともに、過酷な労働環境で完璧性を求められ続けた多くの庶民は、肉体的・精神的に疲労困憊状態です。

そんな時代に希薄化された「人と人との繋がり」を、社会的正論によって取り戻そうとすれば、時代錯誤の価値観によるストレスが膨大化し、精神病患者を増やすだけになると思います。

日本全国各地にあるパチスロ屋は、そんな「人と人との繋がり」を避けたい人の集まりであり、同様に1人カラオケ・1人焼肉・1人居酒屋・1人外食・1人旅などが流行る背景には、多くの人が人と繋がりたくない(仕事以外は1人でいさせて)と思っていることを表している気がします。

そんな訳で、「絆」や「人と人との繋がり」が無くなっているのは、過酷な労働環境による反動であり当然の結果なのです。にも関わらず、そんな現状にそぐわない時代錯誤の社会的正論を推進しようとするのはやめて欲しいと思います。

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夫と2人暮らし。時々出稼ぎしながら移住・リタイアを目指して生活中。

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