『7つの習慣』は精神を病む人を増やすだけかも

学生時代に読んだ、『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー、1996)。

当時は就活セミナーなるものが大流行していて、そのセミナーで知った本でした。

今でも持っていたのは、当時の私に影響を与えた本だったからだろうと思います。

確か、当時は他にも『ビジョーナリー・カンパニー』やカーネギーの本が流行っていて何冊か読みましたが…結局処分してしまいました。

セミナーを実施していた会社のいくつかは倒産してしまったようですが、今考えると恐ろしい思想を植え付けるセミナーだったなぁと思います。

「他人を変えたいなら、まず自分を変えるべき」とか「自分が亡くなった時、周囲からどう思われたいかを考えて人生の目標を考える」とか。

もちろん、本には納得できる内容も盛り込まれていたため、普通に読んでいれば「非常に為になる啓発本」くらいにしか思わなかったでしょう。

が、今考えれば、無理やり自分を変えてしまったら、それまで蓄積した自分を失う可能性や、不安定な人格が形成される可能性があります。

それに、周囲にどう思われたいかを考えて生きれば、死ぬ前に必ず後悔すると思います。

他人の評価や世間体を気にして自分のしたいことをしないなんて、せっかく生きているのに命を無駄に使っているとしか思えません。

自分のやりたいことをやって生きるのがいかに大切か(法に触れない範囲で)、を完全に無視した考え方では…

そんな支配層に都合の良い思想が社会に蔓延すれば、違法労働や奴隷労働が自然増するような…

そして奴隷的に扱われていても気付けなくなり、搾取されていることすら分からなくなる気がします。

確かに、「周囲の状況を変えるために自分の言動や行動を変える」という考え方は、ある意味正しいのかもしれません。

ただ、それが行き過ぎると本人の人格さえ破壊してしまう可能性。

それよりも重要なのは、「周囲の状況を変えたい」と思った原因です。

自分に原因がある場合もあると思いますが、周囲の状況に原因がある場合もあるはずで…

そうした場合には、自分よりも環境を変える必要があると思います。

また、社会や他者に貢献すること=利他の心は非常に大事だと思いますし、それ自体は疑いません。

でも、それにはまず自分を満たしてからでないと偽善になってしまう気がします。

自我が確立されていないときから、利他の心を強制されることはおかしいと思います。

一時的には上手くいっても、いつかどこかで破綻してしまうのでは…

物事には順番がある」と何かの本で読みました。

他人に強制するような思想、支配的な思想、人を格付けするような思想は、人をおかしな方向へ導く気がして、最近は自己啓発本全般に用心深くなってしまいました。

結果、『7つの習慣』ともお別れです。

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