吉原~興津の22.4kmを歩いた②【東海道を歩く】

吉原から興津までの22.4kmを歩いた①【東海道を歩く】」のつづきです。

歩いていると、右手に「由比本陣公園と東海道広重美術館」が現れました。ここは由比宿の本陣跡で、敷地1300坪(約4300平方メートル)が当時のまま残されています。

またもや「明治天皇由比御小休所」との石碑。右にある常夜燈には歴史を感じます。

門を入って正面にある東海道広重美術館。せっかくなので観ていきたかったのですが、先を急ぐべくガン見だけ…残念。

門を入って右側には、東海道由比宿交流館がありました。

中には少し座って休めるスペースがありましたが、あまり涼しくない…。ちなみに、この絵の前で写真撮影ができるそうです。

館内展示で、江戸の名所を浮き絵で飾っていたので観てみることに。

浮き絵とは、西洋画の遠近透視図法を用いて情景が浮き出て見えるように描いた絵を指すそうです。言われてみると、浮き上がった見えるような気が!?

美しい浮き絵がたくさんありました。こうした展示を観ていると、ちょっと和みます。

模型も。

展示を観た後門外へ出ると、道脇の石垣にはたくさんのカメが。実はこの石垣、江戸時代のままで当時は馬の水呑場だったそうです。ちょうど本陣跡の真向かいには、江戸時代以降400年以上続いている「正雪紺屋」(染物屋さん)がありました。お客様?がいたので写真は撮りませんでしたが、歴史ある建物でした。ここは、かの慶安事件で有名な由比正雪の生家だそうです。

加宿問屋場跡も。「ここは江戸時代に加宿十一カ村(北田、町屋原、今宿など)が共同で問屋場を設営したところです。 問屋場とは、幕府の命令で街道通行者のために人足と駄馬(百人百匹)を用意した役所で、由比宿の場合は本宿と加宿が一カ月交代でこの負担を努めました。 加宿とは、この負担で本宿に加勢を命ぜられた村のことです。 」由比宿は小規模だったため、百人百匹を用意することができず周辺の村の加宿が必要だったみたいです。

少し歩くと左側に「由比宿おもしろ宿場館」という建物がありました。入り口では、『東海道中膝栗毛』の弥次・喜多にあやかった人形が出迎えてくれました。

1階はお土産屋さん、2階は食事処になっていて当初はここでランチを食べる予定でした。

細かな案内版もありました。

分かりやすい説明文。

「1841年に江戸幕府が編集した東海道宿村大概帳によると、由比町の町並みは約600メートル。その宿場の西の木戸(通行人の出入口)が、この先の桝形(曲がり角)の所あたりだったと思われます。旧東海道は、その桝形を左折して坂道を下って由比川の河原に出ると、仮の板橋が架けられていてそれを渡りました。雨が降って水量が増すと、この仮板橋は取りはずされました。このように由比川は徒歩で渡りましたので、歩行(かち)渡りといっています。」

橋の手前を左に曲がって河原に出て、仮の橋を歩行で渡っていたというんです。昔の人は川を渡るのさえ大変だった訳です。

由比川橋に到着。常夜燈もありました。

橋の上にあったベンチで少し休憩。白黒の浮世絵が橋の手すりに印刷?されていました。趣があっていい感じです。

その後、歩き進めていくと富士山の神社と呼ばれる、「豊積神社」(とよつみじんじゃ)があるみたいでした。797年に征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征代の報告に豊積神社に立ち寄ったことがあるそうで、その際に村民がお祝いに大太鼓を出して三日二晩歌い続けたと言われているそうです。そうした言い伝えによる太鼓まつりが、現在も元旦から3日間行われているとのこと。

ここは由比漁港。海沿いを歩けないかと海側へ行ってみたら漁港で行き止まりでした…確かにこの暑さでは、海風を浴びながら歩きたい気分です。

とりあえず、前へ前へと進んでいきます。

今宿を通過。

桜エビのモニュメントが迎えてくれます。この先の商店街を歩いているところで、桜えびのロケで来ていた?ホンジャマカの石塚さんを見かけました。メディア通りの感じの良い方で、少々気分が和みました。

JR由比宿を通過。

予定ではこの後、薩埵峠(さったとうげ)を通って興津へ向かおうと思っていたのですが、脚の筋肉痛が酷かったので、薩埵峠は通らず国道1号線沿いを歩いて興津へ向かうことにしました。歌川広重も描いているように、薩埵峠は東海道随一の絶景でありながら当時は難所でもあったみたいです。峠には展望台も整備されているそうなので、次回機会があったら登ってみたいと思います。

一般道から国道へ降りる道があり、歩道もきちんと整備されていて助かりました。ただ車や電車を含めて、こうした海岸線を安全に通行できるようになったのは、1854年の大地震で海岸が隆起してからだそうです。その後、東海道本線、国道1号線、東名高速道路が開通していったそうです。

以前、国道を歩いていた時に見かけた標識が。日本橋から160.5kmの地点です!ちなみに、自転車も通りますから歩く際は気を付けましょう。

途中で海へ出られる場所があったので、休憩がてら海岸へ。昨日もそうでしたが海水がキレイです。釣りをしている方もいました。

駿河湾の波風が気持ち良かったです。

ものすごいスピードで車がぶっ飛ばしていきます。後ろから照り付ける太陽が痛すぎます。4月なのに暑い!水分補給は必須です。

ちなみに海岸沿いをずっと歩いていてふと見下げた海岸で、人生を終わらせようとしているらしい若い男性1人を見かけたので思わず声をかけました。その後思いとどまっていて欲しいものですが……東海道を歩いていると色んなことがあるものです。

そんな日差しが照り付ける熱い中を必死に歩き、ようやく興津に入りました。

やっと一般道に出られます。ちょうどコンビニで休憩していたところ、薩埵峠を下りてきたらしい人々を何組か見かけました。海岸線を歩いていたのは私達だけだったみたい。

今夜の宿泊施設は「割烹旅館 松壽」。前日、楽天トラベルにて1泊2食付きで予約しました。チェックイン・アウトおよび食事はこの建物でしたが、宿泊はこの向かい側にある建物でした。

ネットの評判通り、食事がかなり美味しく疲れも吹き飛ぶほどでした!

特に、お刺身と桜えびのかき揚げが絶品でした!

鯛のあら汁も美味しかった!

割烹旅館というだけあって、食事には大満足。宿泊部屋は和室の布団で筋肉痛の身体には辛かったですが、必要なものは揃っていて(冷蔵庫以外)バス・トイレを含めて部屋は新しく快適でした。

今日は帰るだけですが、朝食はしっかり(笑)

宿泊施設を後にして、JR興津駅へ向かいました。興津駅にはこんな看板が。

駅をあげて東海道の宣伝に熱心です。

夫が疲労とともに自らの体力の衰えに落ち込んでいましたが、そんな夫を慰めつつ?また東海道を歩きたいと思います。次回はまだ歩いていない箱根~三島間を歩く予定です。さていつになることやら…