ぺんぎんメモ

歩き疲れたローマ観光「フォロ・ロマーノ」「パラティーノの丘」

time 2017/05/28

朝8時にホテルを出発し、地下鉄コロッセオ駅から歩いて「フォロ・ロマーノ」と「パラティーノの丘」へ向かいました。

入口が分からず迷いながら到着。どうやら入口はいくつかあるようですが、どこも混んでいるらしい。ただそんな中でも、ローマパスを持っていたのでスムーズに手荷物検査を済ませられて良かったです。

ところで、強い日差しが照り付ける中でのフォロ・ロマーノ観光は、その広大な土地のために入場する前に水分(塩分の入った)と食料、日傘、帽子などをきちんと用意し、休憩しながらの観光を強くお勧めします(個人的にはウィダーインが大活躍しました)。

フォロ・ロマーノとは「ローマ市民の広場」という意味で、古代ローマ・帝政期にかけての政治経済の中心となった場所です。現在は当時建設された神殿や公会堂などの遺跡が残っているだけですが、その広さ・数ともに膨大で観光には時間・体力・気力を要します。

もともとこのあたりは低地で、テヴェレ川の洪水で水没する湿地地帯だったそうで墓地化されていたそうです。それをローマ初代皇帝アウグストゥスが全域に舗装工事を施して、威厳ある都・ローマにふさわしい建造物を次々と建設していきました。

そして政治経済の中心となりましたが、ローマ帝国が東西に分裂した際は異民族の略奪にさらされ、また西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられて廃墟となり、19世紀に発掘されるまでは土砂の下に埋もれていたそうです。

これは「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」と呼ばれる、紀元203年に建てられた高さ21mの凱旋門。大理石のレリーフには、セヴェルス帝が2回に渡って開戦したパルティアとアラビアへの遠征の勝利の模様が描かれているそうです。パリの凱旋門に似ている気がします。

左側の遺跡は、「サトゥルヌス神殿」。多神教だった古代ローマでは、フォロ・ロマーノにもさまざまな神々が祀られていました。ここは農耕の神サトゥルヌスに捧げられた神殿で、少し見えにくいですが8本の列柱が印象的です。

右側の遺跡は、「ヴェスパシアヌス神殿」です。ヴェスパシアヌス帝はコロッセオを建立した皇帝だそうで、この神殿は息子ドミティアヌス帝により建立され、神格化されたヴェスパシアヌス帝に捧げられたそうです。ヴェスパシアヌス帝は健全な常識人として、誰からも愛された皇帝だったといわれています。この3本の柱しか残っていないので、全体像を想像できないのが残念です。ちなみに右手に見えているのは、現在のローマ市庁舎です。

ここは、「ヴェスタの巫女の家」。ローマ社会で巫女は神聖視されていた重要な存在であったようで、巫女たちは神殿で灯される聖なる火を守るために、ここで暮らしていたそうです。巫女の任期は30年といわれ、その間は純潔を保つことが義務付けられていたとのこと。

こちらは、アントニヌス・ピウス帝とファウスティーナ神殿。アントニヌス・ピウス帝とその妻ファウスティーナに捧げられた神殿だそうです。多神教国家であるローマでは、死後に皇帝を神格化することは恒例となっており、よほどの暴帝や愚帝でない限りは神々に列していたそうです。ピウス(慈悲深い)というあだ名が付いたように、穏やかな治世を保った皇帝だったといわれています。

「ロムルスの神殿」は、マクセンティウス帝が亡くなった息子ロムルスに捧げるために建てたといわれている神殿です。外観は写さずに中に入ってしまったのですが、暑さをしのぐためとはいえ貴重な経験でした。

後に、キリスト教の寺院となったそうで、その際に描かれたと思われる壁画が残っていました。

フォロ・ロマーノからかなり登って「パラティーノの丘」へ。パラティーノの丘は、ローマ時代の高級住宅地となっていた場所で、歴代皇帝の住居が構えられていたそうです。ちなみにここは、ドミティアヌス帝の時代に造られた「スタディオ」と呼ばれるところで、周囲は2層の豪華な柱廊に囲まれ、馬場または競技場、中庭として利用されていたのではないかと言われています。

フォロ・ロマーノもパルティーノの丘も日影がほとんどないので、暑い中の観光は過酷です…。鳥もこの通り、日陰で休んでいます(笑) 広すぎて暑すぎる観光地でしたが少し休んでから、次なる観光地コロッセオへ向かいました(歩き疲れたローマ観光「コロッセオ」入口大混雑)。

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