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藤沢から平塚の14kmを歩いた【東海道を歩く】

time 2016/09/07

以前から夫が東海道を歩きたいと言っていたので、一緒に少しずつ歩いてみることにしました。

とはいえ、既にネットにはきちんと旧東海道を歩いた方が大勢いらっしゃいますので、私達はなるべく自由に駅から駅を歩きながら、東海道および旧東海道を散策したいと思います。

ちなみに今回は、自宅に近い藤沢から平塚までを歩きました。

東海道は、徳川家康が関ヶ原合戦に勝利した翌年の1601年に、江戸-京都間、江戸-大坂間の人馬と情報の道として整備され、伝馬制の制度が敷かれたものです。

ちなみに、東海道に沿って宿場があり、藤沢にも藤沢駅から北の方角に藤沢宿がありました。藤沢宿は、慶長6年(1601)、神奈川・保土ヶ谷・平塚・大磯・小田原とともに、最初に宿駅に指定された宿であり、江戸時代中頃以降は、「大山道」や「江の島道」の分岐点として賑わいを見せていたそうです。

東海道0

藤沢駅北口を出発し、1号線を西へ歩いて40分で辻堂駅に到着しましたが、日差しが強く暑いため一旦休憩です。

東海道

休憩後、茅ヶ崎市内中心部を歩いていきます。

東海道2

少し歩いて休憩した後、神明神社という神社の前を通りました。この他にも、多くの社寺がありましたが、その中には、宿場ごとの飯盛り女(遊女)の墓碑群が残されている寺もあります。
宿場には、たいてい飯盛り女の投げ込み寺があり、遊女たちは、死ぬと無縁仏として葬られるのが普通でした。つまり、牛馬なみの扱いだったのです。飯盛女は、近くの農村や他国からも両親の借金の代償として売られて藤沢に来た者もが多かったそうで、旅人の世話や食事の給仕だけでなく、男たちの相手にもなりながら悲しい一生を終えていったそうです。25歳まで生きられた飯盛り女はまれであり、このように供養された者も少なく、借金の形など苦界の中で身を沈めた者が多かったともいわれています。

東海道4

藤沢から平塚まで行く間に橋を3本渡りましたが、2本目の橋の手前で、旧相模川橋脚という木造の柱が建っていました。

この旧相模川橋脚は、大正12(1923)年9月1日の関東大震災と翌年1月の余震によって、水田に橋杭が出現した全国的にもまれな遺跡だそうで、当時の歴史学者沼田頼らい輔すけによって、鎌倉時代の建久9(1198)年に源頼朝の重臣稲毛重成が亡き妻の供養のために架けた橋の橋脚と考証され、大正15(1926)年に国の史跡に指定されたそうです。

また、地震によって生じた液状化現象の痕跡も確認された他、橋脚の出現状況は関東大震災の地震状況を残す遺産としても評価され、24年度より史跡指定に加え国の天然記念物となっているそうです。

東海道7

2時間半歩いてようやく平塚市に入りました。9月初旬はまだまだ暑いです。

東海道8

相模川を渡っている間、風が吹いてくれたおかげで、平塚駅まで何とか持ちこたえることができました。

それでも、帰りに駅で立ちくらみがしてしまったので、身体にはかなり堪えたようです。また、日差しも強かったためか、腕も真っ赤に日焼けしてしまいました。次回歩くときは、曇っている日を選びたいと思います。

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