元箱根~三島スカイウォーク休憩所の10.5kmを歩いた【後編】【東海道を歩く】山中の旧街道は1人では歩けない

元箱根~三島スカイウォーク休憩所の10.5kmを歩いた【前編】【東海道を歩く】の続きです。

日本橋から103km地点を通過。

もはや私達にとっては意味を成さない標識ですが、毎回ちょっと気になります。

ここまで来ると、きちんとした歩道は片側だけ。

車の通りが少なく白線の内側が広いので、このまま左側を歩き続けます。

手入れされた杉の木を横目に黙々と歩いていきます。

夫は、木に関するあれこれを語れるまでに回復(元箱根~三島スカイウォーク休憩所の10.5kmを歩いた【前編】で体調を崩していた)。

再び、三島宿と山中城跡へと続く旧街道の案内…見た感じ歩きにくそうだからパス。

ちなみに山中城とは、1560年代に小田原城を守る城として後北条氏により創築された城だそうですが、一般的なお城と違って土塁と堀で構成されており、天守閣と石垣がありません。

そんな山中城は1590年天下統一を目指す豊臣秀吉の大軍の前に、わずか半日で落城してしまったために悲劇の城と呼ばれています。

これまでは歩きにくそうな旧街道ばかりだったので1号線を歩いてきましたが、

接待茶屋跡付近の旧街道は歩きやすそう&1号線を大幅にショートカットできそうだったので旧街道へ。

箱根山中における接待の歴史は古く、江戸時代中期に箱根山金剛院別当が、箱根山を往来する者の苦難を救うため、無料で食べ物や焚き火を施したのが始まりとなっているそうです。

その後一旦途絶えますが、1824年江戸の豪商・加勢屋与兵衛が再興。

が、明治維新により再び中断。

1879年に八石性理教会によって再スタート後、教会の衰退とともに鈴木家に引き継がれ、その後3代に渡って1970年までの約90年間、箱根を往来する人馬の救済にあたったそうです。

1970年までやっていたとは…

車や公共交通機関が発達していない時代において、旧東海道は不可欠な存在だったのだろうけど、その道を維持・管理したり人馬の救済をしたりしていた人や家は、かなり大変だったはず…

目論見通り、この旧街道は石畳がなく歩きやすいです。

ただ、雨だと滑りそう…

少し歩くと、「かぶと石」と呼ばれる巨石。

途中、施行平展望台方面へ行く道と分かれていました。

この辺りから徐々に、木の根が浮いてきて歩きにくくなりました…

そんな道を歩いていると、竹やぶにくぼみが…中に建っていたのは「明治天皇御小休止跡」の石碑。

旧街道を歩いていると、明治天皇の存在を認知させたい明治政府の意図が感じられて違和感を覚えます。

12時近くになり、ちょうど塚のような場所があったのでそこで昼食を摂りました。

静かで誰もいないので、1人だったら怖くて食事なんて絶対摂れない場所でしたが…

食後、歩き始めると石畳が出現。

そして、ちょっと幻想的なトンネルなんかもありました。

写真では分かりにくいですが、これらの道は下り道なので、滑りそうになったり石畳や小石に足を取られそうになったりして危ないです。

そうやって気を付けながら歩いていると結構足腰にきます…

歩きにくい旧街道を堪能した後に現れたのが、念仏石。

東海道歩きの行き倒れの中でも、特にこの箱根峠は厳しかったはず…

そんな箱根旧街道の険しさを物語るかのように、標柱もこの通り…

結局、旧街道はやっぱり勘弁と…1号線に戻ります(何回目?)。

静岡県の1号線は歩きやすい!アスファルト万歳!

そんな快適1号線を歩いていると、三島市に突入。

おぉ、三島大社や楽寿園への案内標識が出てる。

先が見えると元気が出ます。

しかも道路が立派で歩きやすい。いいぞ、静岡県!

山中城1号トンネルという真新しいトンネルまで。すごいぞ、静岡県!

日本橋から108km地点を通過。

日差しがポカポカ暖かい!

途中お手洗いは簡易のものしかなかったので、前回書いた通り「道の駅 箱根峠」で済ませて正解でした。

山中城2号トンネル。

公共事業が活発な静岡県です。

それはさておき、季節柄ススキがあちこちに見えて風流です。

また旧街道への誘い。

ただ、今回は修復工事中の看板

道端で出会った、いかにも健康で善人そうな地元のおじいさんに勧められ、「菊池千本槍の碑」という石碑の説明書を読む。

それによると1335年、この付近であった水呑峠の合戦で、後醍醐天皇の命を受けた先鋒菊池肥後守武重の一千余の兵は、槍の原型となる竹竿の先に短刀を括り付けた武器で足利勢に大勝利した。

九州へ帰国後、武重は刀工延壽に槍を作らせ、後にこれが菊池千本槍と呼ばれたという。

夫によると、「菊池」さんという姓は九州の熊本が発祥とのこと。

芭蕉の歌が書かれた巨大石碑。

「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」(今日は霧が深くかかり、草庵から何度も眺めたあの富士山が見られない。が、こうして霧の中の富士を思い描くというのも一興だ)

山中新田を通過し、バイパス建設中の工事現場や見晴学園を通過しながら、下り道をさらに下っていきます。

右にずっと見えていた三島スカイウォークが目前に。

全長400mの吊り橋からは富士山が拝めるということで、三島スカイウォーク休憩所は大混雑。

ここでお手洗いを済ませるとともに、タイミング良くバスも来る感じだったので、疲れ果てた夫は帰宅宣言。

休憩所では、地元産野菜や果物も売っていたり、カフェやイートインスペースなどもあったり、スカイウォーク以外にも賑わっているようでした。

ここからバスで箱根町港へ(約15分・600円)。

次回は元箱根港から三島スカイウォークまでバスで来て、三島駅までを歩くことになりそうです。

箱根町港からは、急行・箱根湯本駅行バスに乗って帰宅(960円)。

今回の東海道歩きは箱根湯本から元箱根までの道とは違い、他の東海道歩きの人と全く出会わず、

山中の旧街道を歩いている時は「1人だったら歩きたくない…」と思う場所もしばしばでした。

標高のために夫が箱根峠付近で体調不良となりましたが、下り道で標高が下がってくると何とか持ち直し、

結果、三島スカイウォークまで歩けました。それでも山歩きの10kmは身体に堪えます。

今回のコースは下り道メインだったので気持ち的にはラクでしたが、想像以上に足腰にきてしまい翌日以降に筋肉痛になりました…

次回は三島スカイウォーク休憩所~三島駅の9.1kmを歩いた【前編】【東海道を歩く】です。