パリ観光は観光客が少ない11月が最適、オルセー美術館【前編】

パリで人気が高い美術館の1つに、オルセー美術館があります。

1900~1939年の間は、オルセー美術館は中央ターミナル駅であるオルセー駅だったのですが、その後1977年にオルセー駅を19世紀美術館とすることが計画され、1986年美術館としてオープンしたのだそうです。

現在、印象派の優れたコレクションを中心とする1848年以降の彫刻・絵画・工芸が約4,000点展示されており、年間300万人以上が訪れています。

ちなみに、2011年に大改装工事が行われる前は写真撮影Okでしたが、その後一旦写真撮影禁止となり、再び写真撮影Okになったそうで、今回紹介する絵画の画像は2009年に行った際に撮影したものです。

オルセー美術館内は、時期・曜日・時間によって混雑具合が異なります。どちらにせよ、じっくりと鑑賞したい場合は半日はみておいた方がよいと思います。

以下、印象に残った絵を載せておきます。作者やタイトルが分かるものは記載しましたが、不明の作品は画像のみ掲載しました。

まずは、アレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生」。

1863年に完成したこの作品では、優美な曲線を描くヴィ−ナスの裸体の上を、5人の天使がいる様子が描かれています。この絵は、その美しさに魅了されたナポレオン3世が買い上げたことで有名だそうです。

カバネルは、パリ市庁舎の装飾など公的な仕事も多くこなし、多数の賞や名誉を得ましたが、没後評価が下がり、現在でも多くの作品が行方不明になっているともいわれています。

レオン・ジェロームの「闘鶏」。

1846年に描かれたこちらの作品は、裸身の若者と薄物をまとっただけの娘が闘鶏を眺めており、背景にはナポリ湾が見えています。


こちらは、ドミニク・アングルの代表作「泉」。

この作品は、1820年頃から制作が開始されていたそうでが、アングルが晩年期に入った1856年に画家の弟子らによって完成させられたといわれています。

ヴィンターハルターの「リムスキー・コルサコフ夫人」。

これは1864年の作品で、絵のモデルであるロシア上流階級の貴婦人リムスキー・コルサコフ夫人が、美しく描かれています。王侯貴族などのモデルを理想化して描くヴィンターハルターの肖像画は、高く評価され人気があったそうです。

ドガの「バレエの教室」。

ドガといえば、バレリーナの絵が有名といわれていて、オペラ座に通い詰めてバレリーナを描いていたそうです。この絵では、稽古場のバレリーナ達が、おしゃべりしていたり、背中を掻いていたりする様子が描かれています。ドガは、舞台で踊るバレリーナよりも、稽古場や控え室の、自然な姿を好んで描いていたといいます。

同じくドガの作品で「浴槽に腰掛ける女」。

バスタブの淵に腰をかけて屈んでいる女性の後ろ姿ですが描かれています。ドガの絵には、入浴中や入浴後の身繕い中の女性の絵も、たくさんあります。いずれも見られていることを意識していない無防備な姿です。それまでの裸婦像にはないものでした。斜め後ろから覗いて見ているような構図も独特です。

印象派の画家の多くが、戸外で制作し光の表現を追求したそうですが、ドガは、室内の人工的な照明のもとで作品を描きました。 晩年は目を患い、40代以降にパステル画や彫像作品が増えていくことや屋外の制作を好まなかったのも、目の不調と関わりがあると言われています。

レオン・ベリーが描いた「メッカヘの巡礼」。

1861年に描かれたこの作品は、過酷な砂漠の中をラクダとともに大勢の人々が前進していく様子が描かれており、印象深い作品でした。

ゴッホの「自画像」。

ゴッホは多くの自画像を残していますが、オルセー美術館にあるのは、1889年から神経発作によりカトリック精神病院「サン・ポール」へ入院していた時代(通称サン・レミ時代)に制作された自画像です。鋭い眼と背景の青い渦が複雑な印象を感じさせます。

ゴッホが画家を志したのは、27歳になってからのことで、ブリュッセルでデッサンの勉強を始め、1881年に実家の自宅に画室を作ったといわれています。それまでは職を転々としていたそうです。

現在でこそ名声もあり高い評価を得ているゴッホですが、不遇の生涯を送っており、生前に売れた絵はたった1枚『赤い葡萄畑』だけだったそうです。それでも弟テオドール(通称テオ)の援助でなんとか生活していたといわれます。また、画家としての活動が約10年間と短く、傑作とされる作品のほとんどが晩年(1888年~1890年)に制作されたものであり、知名度に比して、傑作・良作とされる作品数は少ないようです。

トマ・クチュールの「退廃期のローマ人たち」。

こちらは、1847年に描かれた作品で、古代ローマ人の堕落を描いています。衰退していく中で踊り、酒を飲み続けるローマ人たちを、右側にいる男性二人が非難するような目で見つめています。同時代のフランスの状況と重ねて、批判的な意味を込めながら描かれているそうです。

マネの「オランピア」。

「オランピア」とは当時よく使われていた娼婦の源氏名で、横たわる女性は娼婦です。これは、ティツィアーノ作品がもとになっているそうですが、ティツィアーノが描いたのは女神でした。マネは、当時の価値感とは真っ向から対立する作品をサロンに出品しては批判されており、現代風に描いたこの絵も、当時は受け入れられませんでした。

同じくマネの「エミール・ゾラの肖像 」 で、1868年に描かれた作品です。

マネは日本美術に大きな関心を寄せており、絵の背景に配された書物や冊子には、日本の浮世絵版画が飾られ、尾形光琳を彷彿とさせる屏風絵のような美術品も見受けられます。

長くなるのでつづきは、パリ美術館観光は観光客が少ない11月が最適、オルセー美術館【後編】へ。