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「社会的に評価される正しいこと=自分がやりたいこと」ではない

time 2017/01/13

最近、今まで30年生きてきた自分は、他人から自分を守るために作り上げた、偽りの自分だったと気付きました。

親や周囲の社会から求められた人生を生きていたことにようやく気付いたのです。

もしかすると、多くの人がそうかもしれません。

「自分がやりたいことをしても生きていけないし、好きなことをしても苦労するだけ」と周囲の大人に言われて育ち、知らず知らずのうちに安全な場所で生きる選択をするようになったのだと思います。

 

健康なだけでは

本当の自分は恥ずかしがり屋で人見知りで落ち込みやすく、自信がなく、ドジでおっちょこちょいなので、健康であるだけでは存在を認められることはない社会です。

そのため、社会からも周囲からも親からも見下される本来の自分は押し殺し、認められやすい存在になる必要がありました。幼少期から引っ越しを繰り返した私にとって、それは必須のことだと思っていたのです。

そして、より多くの人から好かれるように、偽りの自分を演じることで心身ともに犠牲にしていきました。

学校での成績優秀な自分、毎日元気に動き回る自分、空気を読む自分、仕事で結果を出し続ける自分の姿を、親が喜んでくれる・周囲の人々に見下されない・村八分にされない、ようにするために作り上げていったのです。

 

自分のやりたいことをやらないと

当時の自分は幼少期から異常に追い詰められていたので、周囲には自分を攻撃してくる人ばかりだと思っていました。実際、いろいろな事情から攻撃してくる人が多くいました。

そのため、どうしてもその攻撃から身を守るために、自分で自分の気持ちに嘘をつく必要があったのだと今になって思います。

でも、本来の欲求とは相反する気持ちでいれば、土台がないのに上に色々なものを積み上げていくのが無理なように、ある日突然突き進むことができなくなってしまうものです。

そんな状況で頑張りが足りないだけだと自分を無理やり鼓舞しても、不安定な土台であるがゆえにすぐに行き詰ってしまうのです。

本来の自分が求めていないことを無理してやっていれば、心身ともにおかしくなるのだと気付きました。

 

他人に我慢を強要する人は

そう気付く前までは、

”社会的に評価される正しいこと=自分がやりたいこと”

だとずっと思っていました。

親からそう生きることを強制されていたからか、自分の好きな事など求める余裕がありませんでした。親からの期待に応えることでしか存在を認めてもらえないと思っていたのです。

しかし考えてみれば、母にも父にもそれぞれ好きなことがあったのです。しかし、私の幼少期は親自身がそれらを我慢している状況だったせいか、子どもにも我慢を強いていた状況でした。

でも、本来子どもは自由に生きるべき存在であり、親のご機嫌取りなんてする必要はないはずなのです。

 

人形ではない

私は、長女であったためか、親の期待に沿っていろいろ勧められてやりましたが、どれも好きになれませんでした。

スパルタ的に続けさせられた習い事もありましたが、苦痛で仕方ありませんでした。今考えると、自分は人形だったのだと思います。

狭い視野の中では自分が何をやりたいのか分からないことも多いと思いますが、必死に探して何故かやりたくなること・言われなくてもやりたくなることをするべきです。

私は、今になって自分が好きなことは何だろうと必死に考えています。

自分が好きなことをしなければ、他のことで人に認められ賞賛されても全く嬉しくないし、満足もできないのです。

現在は、日々の生活でやりたいことをコツコツ行いながら、同時に自分のやりたいことを探しています。

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