社会的に評価される正しいこと=「自分がやりたいこと」ではない

最近、これまで生きてきた自分は、他人から自分を守るために作り上げた、偽りの自分だったことに気付きました…

周囲から求められた自分を生きていたことに、ようやく気付いたのです。

多重人格風?なのも、変化する生活環境に過剰適応してきた結果なのかもしれません。

健康なだけでは認められない

もともと恥ずかしがり屋でおっちょこちょい、かつ自信がないのですが…

そんな感じだと、例え健康であっても、何かしら特筆すべき能力がない限り、親や社会から認められることは難しいです。

そのため、誰からも認められない本来の自分を矯正し、認められる・肯定される存在になりたいと思いながら生きてきました。

そして、より多くの人々から認められるように、偽りの自分を演じることで心身を犠牲にしてきました…

成績優秀、スポーツ万能、困っている人がいたら助けて、仕事では結果を出し続ける…そんな上っ面な自分を作り上げてきました。

そんな小手先の方法が長く続くわけもないのに、「世間の常識」「周囲の評価」に従って生きていました。

やりたくないことは心身をおかしくする

そうやって幼少期から異常に追い詰められていたので、周囲には自分を攻撃してくる人ばかりだと思っていました。

実際、いろいろな事情から攻撃してくる人もいました。

そしてその攻撃から身を守るために、自分で自分の気持ちに嘘をつき続けました。

でも本音と相反する気持ちを持ち続けていると、本当の感情を失ってしまいます…

そんな状況で「頑張りが足りないだけ」と自分を無理やり鼓舞しても、不安定な土台であるがゆえにすぐに行き詰ってしまいます。

本来の自分が求めていないことを無理してやっていれば、心身ともにおかしくなるのは当然ですが、そのことに長年気付けなかったのです。

世間の評価に沿って生きてきた

そう気付く前までは、

”社会的に評価される正しいこと=自分がやりたいこと”

だと思って生きていました。

そう思うことに対して、何の疑問も持たずに生きていたのです。

でも、本来子どもは自由に生きられる存在であり、周囲のご機嫌取りしながら不自由に生きる必要はないんですよね…

人生は一度きり、健康寿命は長くない

将来に希望もなく、生きる意味を考えながら幼少期を過ごし、その後は仕事で結果を残すことだけを考えて生きてきました。

ただ、それで行き詰りました…

行き詰って思ったことは、「人生は一度きり、健康寿命は長くない、やりたいことをやって生きよう」でした。

そう思えたのは、好きでもない分野で努力し評価されても虚しいだけだと気付いたからです。

気付いた後、それを少しずつ行動に移しています。

継続できるかはまた別の話ですが、、、以前は刹那的だったのが少しずつ希望が持てる生き方になってきた気がします。

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