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正しい努力と間違った努力

time 2017/01/27

間違った努力をしても、望んだ結果はついてこないといいます。

では、間違った努力とは何なのでしょう。そして、正しい努力とはどういう努力をいうのでしょうか。

 

正しい努力とは

努力の仕方が間違っている・正しい、という見方は表面上でしかありません。

方法的には間違った努力をしていても成功する場合もあるし、その逆もあるからです。

事の本質は、努力している対象にあると思います。

それは、自分が本当に好きなこと(対象)に対して努力をしているか、ということです。

もし、真に好きなことに対して努力をしているのなら、それは正しい努力といえます。そして、その努力は同時に自己実現にもなっています

それは誰に言われなくても自然と続けることができ、燃え尽きることがありません

 

間違った努力とは

しかし、もしそうではなく他人に見せるためや周囲からの評価が欲しいため、世間や人目を気にしているための努力であれば、その努力は間違っています。それは、真に好きではないことに対して力を注いでいるからです。

もしかすると、その努力はすればするほど自己喪失へと繋がっているかもしれません。

今している努力は本当に好きなことなのか、を考えてみて欲しいです。

パートナーや親、兄弟、友人、世間、会社等々…自分以外の評価を気にして努力していないでしょうか。自己満足ではなく他者満足になっていませんか。

 

非難されても

自分がやりたい事よりも、他者から賞賛され認められ尊敬されることの方が大切だと考えるのなら、そうした努力を存分にすればいいでしょう。

私自身は、せっかく生きているのだからとやりたいことに力を注いで生きてきました。それはおそらく、多くの教育者からは非難され、社会の常識とはかけ離れた生き方でしょう。

でも自分では満足した生き方なのです。

そんな私も10代までは、様々な人の評価が気になり、他人の発言に左右されるような人生を送っていました。けれど、突然親が亡くなり命の有限さに気付き、例え常識的には?なことでも自分のやりたいことに時間を使おうと考えるようになりました。

 

人生は自分のためにある

多くの自己啓発セミナー講師は、「自分が亡くなった後に周囲からどう思われたいかを考えて、人生をの設計図をつくるべき」と言います。

しかしそれでは、人生を他者に委ねる意味になり、自分の人生になりません。

確かに社会や他者から評価されなければ社会で上手くやっていけない場合もあると思います。でもだからといって、他者の評価だけを人生の目的にしてしまったら、それは自分の人生を生きることにはならないのではないでしょうか。

他者を満足させるためだけに努力するのではなく、自分が好きなことにも努力することは、非常に重要で尊い行為だと思っています。

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