日本社会では、忙しいことを尊ぶ・誇る風土があります。にもかかわらず、忙しさによって自分や家族を苦しめていることには無頓着です。むしろ「仕方ないこと」と捉えていることが多く、それがますます悪循環を生んでいる気がします。
日本人の生活リズムの基本は、義務教育時代に作られている気がしますが、その生活リズムは忙しすぎることがほとんどです。
英才教育を受けていれば朝から深夜まで勉強漬けの日々でしょうし、公立学校であれば部活動への参加が義務付けられていることも多く勉強と両立させるために拷問に近い生活体系となっていることが多々あります。
そんな風に子どもも忙しいのですが、大人も多忙…1週間ときには1ヵ月、子どもとほとんど顔を合わせない父親も多いと聞きます。そのため家族が一緒に過ごす時間はもとより、各々が自分の時間を確保するのさえ難しい状況になっています。
そんなとき、日本でよく用いられるのが「頑張れ」という思想。
「頑張る」という言葉は江戸時代から出てきた言葉だそうですが、その語源は「眼張る(一定の場所から動かない)」や「我を張る(自分の考えを通す)」ことだと言われています。そんな「頑張れ」という言葉、あまり好きではありません。
「頑張れ」は、「頑張れば何とかなる」という根性論・精神論に近い部分がありますよね。これまで、そうやって頑張りすぎて疲れ果ててしまった人を何人も見てきましたが、きっと当人だけでなく周囲にいる人もしんどい状態だったと思います。
頑張りすぎる人は周囲にもそれを強制する場合が多く、「自分はこんなに頑張っているのに」というマイナス感情を発しながら周囲も苦しめていることが多いのです。
もちろん、目標・目的を達成するために日々努力するのは大切なことだと思いますが、そこには根性論・精神論ではない技術的な面での向上が不可欠です。技術的な面での向上が全く見込めないにもかかわらず、根性論・精神論をふりかざすのは前時代的かと…
家族や大切な人を犠牲にしていないならまだしも、そのことで家族を犠牲にし自分の体も傷めつけているのであれば、根性論・精神論的に頑張ることはもうやめたほうがいいと思います。