ぺんぎんメモ

知られていないEQ(こころの知能指数)の重要性

time 2019/03/12

数年前、初めてEQという言葉を知りました。その時『EQ こころの知能指数』(ダニエル・ゴールマン、1998)という本を買いましたが、450ページと分厚い文庫だったこともあり実は数年間放置したままで…最近ようやく読み始めたところです。

ただ読み進めるにつれて、以前紹介した『「普通がいい」という病』の内容に通じるところがあると感じ、線を引きながら毎日無心で読んでいます。

EQ(こころの知能指数)と似た言葉にIQ(頭の知能指数)がありますが、言葉は似ているもののこの2つは対立する概念ではなく、EQは社会的知性、IQは学問的知性という異質の知性として捉えられています。

本書によると、EQはIQ以上に人生に与える影響が大きいことが分かっており、EQの高さが、人生における満足度や幸福度を決めるとまで言われているそうです。

が、近年日本社会でうつ病が激増しているのを見ると、高すぎるEQも問題なのでは?という気がしています(主に領域4)。特に、仕事としてサービス業が増加している現代では、EQの高さが求められることが多く、安易に他人の感情を認識する能力を高めてしまうと、自分の感情を認識しにくくなってしまい、ついには精神的な病を発症するケースが多いように思えます。

とはいえ、後述するようにEQにはいくつかの領域があり、不足している領域を適度に高めることで得られる効果もあると思うので、本書に記載のある興味深い内容を抜粋していきたいと思います。まずはEQの説明から。

こころの知能指数とは、自分自身を動機づけ、挫折してもしぶとくがんばれる能力のことだ。衝動をコントロールし、快楽をがまんできる能力のことだ。自分の気分をうまく整え、感情の乱れに思考力を阻害されない能力のことだ。他人に共感でき、希望を維持できる能力のことだ。(p70)

「衝動をコントルールし、快楽をがまんできる能力」や「感情の乱れに思考力を阻害されない能力」はEQだったんですね。これらの能力が幼少期からあれば(それ以外の能力もですが)、もう少しマシな人生を歩めたかもしれません…

現在あるデータをもとに推測するかぎり、EQはIQと同等あるいはそれ以上の影響力をもっていると思われる。IQについては経験や教育の力で大きく変えることは不可能だという説があるが、EQについては重要な部分は子供のうちに教えれば向上させることが可能だ。(p71)

上記文章を読んで、もしも日本社会にEQを向上させる環境があったら(もしかすると既にあるのかもしれませんが)、各社会における人間関係が円滑になったり、個人の持つ才能や資質が伸びやすくなったり、能力が開花しやすくなったりするかもしれないと思いました。心理学者ハワード・ガードナーも、

そろそろ才能というものをもっと広範囲にとらえるべき時期にきていると思います。子供の発達のために教育がなしうる唯一最大の貢献は、その子が自分の才能に最もふさわしい方面に進んで能力を発揮し満足して生きられるよう応援してあげることです。私たちは現在、そのことが見えなくなっています。いまの学校教育は、生徒全員を大学教授に仕立てようとするかのような内容です。そして、そのような狭い基準に合うかどうかだけですべての学生を評価しています。学校はいいかげんに子供をランクづけするのをやめて、子供たちがそれぞれに持って生まれた才能や資質を見つけ、それを伸ばしてやることに力を注ぐべきです。成功にいたる道は何百何千とあるのだし、そのために役立つ能力だってじつに多種多様なのですから。(p75、76)

と述べています。ただ前述したように、過度なEQの高さは本人を病に陥れ逆に苦しめる可能性もあるので、足りない領域を補うくらいが丁度いいのではと思っています。

一九四〇年代(当時のアイビー・リーグの学生のIQは、今日よりもばらつきがあった)にハーバードを卒業した人々を中年になるまで追跡調査したところ、大学時代に秀才だった人がそうでない人より収入や業績や地位などの点で特に成功しているとはいえない、という結果が出た。また、大学時代の成績が優秀だったからといって現在の人生に満足しているとは限らないし、友人や家族との人間関係や恋愛面で幸せだとも限らない、ということもわかった。

~中略~

人生に大きな差をつけたのは、IQよりも子供のころに挫折を克服する能力や感情をコントロールする能力や他人と協調する能力があったかどうかだった。(p71、72)

自分の感情を自覚しコントロールできる能力は、『7つの習慣』にあった「起こった環境に対してどう反応するか」に似ている気がします(『7つの習慣』支持者ではありません)。

ある環境に対して沸いた感情をそのまま爆発させるのか(喜怒哀楽すべて)、それともその感情を客観的に見られるだけの冷静さをもって、違う感情に変えたりして適度な具合にコントロールできるのかは、生活上多くの違いを生むと思います。

学校の成績がよくても、人生のピンチやチャンスにはほとんど役に立たない。IQが高いからといって富や名声や幸せを得られる保証はないのに、学校も社会も学力ばかりに注目して、人生を左右するもう一方の大切な資質、すなわちEQには目を向けない。情動の知性にも、数学や国語と同じように能力差がある。IQが同じでも人生に成功する人とつまずく人がでてくるのは、EQに差があるからだ。~中略~

もちろん人生で成功にいたる道筋は無数にあるし、EQ以外の資質が大きくものを言う分野も多い。今日のような知識集約型の社会では、たしかに専門能力も重要だろう。(p73)

それでも、

世の中を眺めてみると、EQが高い人 ― 自分の気持ちを自覚し制御できる人、他人の気持ちを推察し対応できる人 ― のほうが、親しい人間関係においても組織の中を泳ぎまわることにかけても有利なようだ。こころの知能指数が高い人は、自分の能力をうまく発揮できる心の使い方を自覚している分だけ、人生における満足度や効率が高い。自分の感情をコントロールできない人は内面が混乱していて、仕事や思考に能力を集中することができない。(p74)

反射的な感情に時間を独占されない能力をもつ人々が、人生における満足度や幸福度が高いのは納得です。ただ、ストレスフルな生活を送っている場合に、欲望を抑えて言動・行動したり、感情の乱れに左右されず集中して脳を使えたりするのは、精神的に強くないと難しいと思います。また、現代では仕事で脳をフル回転できても、その反動で自宅では脳が動かない可能性も高そうです…

ピーター・サロヴェイは、EQに関する基本定義を固めて、5つの領域に分類しています。

  1. 自分自身の情動を知る
  2. 感情を制御する
  3. 自分を動機づける
  4. 他人の感情を認識する
  5. 人間関係をうまく処理する

(p85、86、87)

(まだ30年少々しか生きていない私が言うのもおこがましいですが)過去を振り返ってみても、上記の5領域は有意義な人生を送るのにかなり重要な能力だと思いました。ただ、前述したように4の領域が高すぎると、現代では精神的な病を発症する可能性が高いと思うので、不足を補うくらいが丁度よい気がします。

EQの根本は言うまでもなく脳の神経細胞にあるが、脳は驚異的な順応性を持ち、つねに学習している。EQのかなりの部分は脳が学習した習慣や反応であり、正しい方向で努力すれば矯正し向上させることが可能だ。(p87)

というように、幼年期にEQの訓練を積めば劇的な向上が見込めるだけでなく、歳を重ねてからの訓練でもEQは伸ばすことができるそうです。

ただ現状では、そうした訓練環境を得られる人は限りなく少数でしょうし、日本社会のように子どもを大切に扱わない社会では、EQの重要性が認識されるどころか、脳の神経細胞が成長する20歳くらいまでの期間がないがしろにされているため、例え部分的領域であってもEQ向上を目指すには、まだまだ困難な環境といえるのかもしれません。

       



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奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、(セミ)リタイア、(海外)移住、晴耕雨読生活などを 追い求めて暮らしています。

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