ぺんぎんメモ

『「普通がいい」という病』濃い内容に疲労感

time 2018/11/17

精神科医である著者が書いた『「普通がいい」という病』。

この本は、多くの日本人が経験するであろう日常的物事を例に、日本の精神風土の神経症性を説明したものです。私の理解度が乏しいために、一度読んだだけでは理解できない部分も多かったのですが、神経症性の核心をついている(と思われる)鋭い指摘が次から次へと出てくるため、気になる箇所は何度も読み返しました。

精神科医としてクライアントに会い続けてきた著者は、日本人には普通になりたい人がとても多いことを指摘しています。

「普通」という言葉には、平凡で皆と同じが良いことなんだとか、「普通」に生きることが幸せに違いない、という偏った価値観がベッタリとくっついています。つまり、「普通」になれば「普通」に幸せになれると思い込んでいるわけです。しかし、幸せというものには、「普通」はない。なぜなら、「普通」ではないのが、幸せの本質だからです。(p41)

病的にまで「普通」を欲する人々を数多く生み出してしまったのは、閉鎖的村社会における画一性追及型教育が原因でしょう……現代日本社会では「普通」(と見なされている)基準から少しでも逸脱した存在は、病気や異常として片付けられる傾向が強いですからね。

著者は「ユニコーンの角」という項目で、

必ずどんな人にも、その人なりの敏感なアンテナというものがどこかにありますが、その敏感さゆえに、もろくなってしまったり、弱くなってしまったりしていることがよくあります。本人自身がそのアンテナを「みんなと違う感覚だから良くないものだ」と思ってしまうと、それをひた隠しにして、使わないようにしてしまいます。使わないから、磨きがかからない。しかし、そのアンテナが無くなることはありませんから、結果として、中途半端に敏感で細い状態になり、その人自身が弱くなっていってしまいます。(p209)

「普通」でないことによるプラスな体験があれば、「普通」教への信仰心は芽生えなかったかもしれませんが、「普通」でないことによりマイナスな体験が多かった人ほど、「普通」教信者になってしまう可能性は高そうです。

ところで、精神的な病は本来、正常と異常、健康と病気という区別はできない繋がったものであるのに、それを現代では区別をさせ、結果的に病を完治させないようにしている旨を知って衝撃を覚えました。

そしてそれは、「普通」・「正常」である凡人を尊び、「普通でない」・「異常」である天才を潰す社会環境を生んでいるのではないか?という気もしてきます。

天才とはいえなくても、何らかの秀でた能力があるにもかかわらず、周囲から普通・正常であることを強制され凡人に合わせるように努めた結果、秀でた能力を自ら捨ててしまう人もいるかもしれません……現代社会で数値化できたり価値が認められたりする能力でなければ、例えそれが類いまれな秀でた能力であっても不要となってしまうからかもしれません。

『「普通がいい」という病』には所々、別の本で読んだような?内容も含まれていて、読みながら何度も頷いてしまいました。あまりにも濃い内容だったので読み進める度に疲れを感じてしまいましたが、それだけ今の私には重みのあるものでした。

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奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、心理、(セミ)リタイア、海外移住など追求して自由に暮らしています。

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