ぺんぎんメモ

庶民として声を上げ続けることにした

time 2019/01/26

このブログを書き始める前に、一度ブログを書いていたことがあります。それは社会人として(自分としては)無我夢中で働いていた時期で、学生時代に思い描いていた働き方と違うことに対するストレスを書いていました。

書くことでスッキリしたり考えがまとまったり、自分なりにメリットがあったんです。そのうちブログを書くのが面倒になって、twitterへ移行しましたけどね。

ちなみに、当時働いていたのは老舗企業でしたが自由な社風を感じて入社したのに、配属先は上意下達の右習え空気でかなりストレスだったのを覚えています。人と接触するのが好きでもなかったのに、田舎で生きるために仕方なく身に付いた人当たりの良さが仇となり、多くの人と接する職種を選んでしまったのも問題でした。

当時は、自分が本当に好きなことを見間違えていたんですよね。幼少期から持っていた固定観念・視野の狭さ、そして自信の無さが興味関心対象を曇らせていたのだと思います。学生時代に色んなセミナーに参加して自己分析なるものも何十回とやったのに、結局自分のことは分かりませんでした。当時はまだ向き合えるだけの心がなかったのかもしれません。

このブログは最初、危険な環境下でも生き抜くために、からだを守るための安全な食について書いていました。でも、書いているうちに対象範囲が広がって、自由に色々なことを書くようになりました。収益面ではサッパリですが…毎日誰かが貴重な時間を使ってこのブログを訪問してくれて、自分の書いた文章を読んでくれることに心底嬉しい気持ちがあります。

とはいえ、最初は自分でも良く繕おうとして書いていたし、今以上に文章を書くのが下手だったのでかなり読みにくいブログだったと思います…ただそんなブログでも、その頃から何人もの方が読んでくれていて今があります。

今は可能な限りありのままを書くよう努めていますが、少しでも読んでくれる方の力になれたらいいなという思いと、おこがましいですが、少しでも善い方向へ社会が進んでくれたらなという思いを持って書いています。

亡くなった親は命を狙われながら生活していたのですが、当時自分のやりたいこと・好きなことを考える余裕がなかった私は、「何故命をかけてまで情熱を傾けられる対象があるんだろう?」と不思議でした。

でも、最近私はそれに近い価値をこのブログに見出しています。

それは、誰かが声を上げなければ消えてしまうこと・誰も気に留めないことを、代わりに拾って声を上げていくことです。幼少期からなぜか私の周囲には、自分で人生を終わりにしていく人がおそらく世間一般よりも多かったので、どこかでその人たちの声を今もなお拾い上げようとしているのかもしれません。

声をあげることで、今ある権利や自由を守り、新たな権利や自由を獲得していきたい。新聞やテレビ、その他マスメディア、大企業、既得権益組織から発信される価値観・観念・思想ではなく、人権意識が行き届き、各人が大切にしたい価値観を尊重できる社会になることを願いながら、今後も書き続けたいと思います。

       



アーカイブ



プロフィール

ぺんぎん

ぺんぎん

奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、心理、(セミ)リタイア、(海外)移住、晴耕雨読生活などを 追い求めて暮らしています。

[詳細]