ぺんぎんメモ

燃え尽きてしまうのは仕事の選択を間違えているのかも

time 2019/01/30

社会人になって数年間は、時間があれば新聞やビジネス書を読み、国会図書館へ通いながら仕事に関する勉強を必死にしていました。机上で学んだことを実践して成果を出すのが面白く、充実した日々を送っていたと思います。

ただ、ある程度のところまで成果が出てしまうと、それ以上の成果を追及する意味を見出せなくなり、仕事に対するモチベーションが上がらなくなることに気付きました。

最近断捨離しようと思っていた本の中に、

ほんとうに問題なのは、「なぜ偉大さを追及するのか」ではない。「どの仕事なら、偉大さを追及せずにはいられなくなるのか」だ。「なぜ偉大さを追及しなければならないのか、そこそこの成功で十分ではないのか」と問わなければならないのであれば、おそらく、仕事の選択を間違えている。

という文章を見つけて、これが原因かもしれないと思いました。

「好きな仕事であれば、どこまでも売上を伸ばし続けたいと思う」とそこには書いてあったからです。

でも私は「ある程度のところでいいじゃないか」と思ってしまった。ということは、おそらく仕事の選択を間違えているということなのでしょう。周囲からは「合っている」と言われていたので適職だったのでしょうが、私自身は嫌で嫌で仕方がない。

結局、それは天職ではなかったんでしょうね。最終的に、時間的にも精神的にも疲れ切ってしまい、8年以上やった職業も好きになれませんでした。数字で結果を出すのは大好きですが、人と接するのが向いていなかったんでしょうね。

また、「組織の中で働くのが無理だ」と気付いてしまった部分もあります。過去に勤めた会社が過酷な労働環境であったこともあるでしょうが、既存組織には慣習があり、風土があり、そこに流れている空気があり、それに合わせる必要があります。

けれどもそうやって合わせることに多大なストレスを感じてしまう私は、大半の人以上に無理する必要があります。そうやって必要以上に無理してしまうのは、おそらく自信がなく自己肯定感が低いからだと思います。

そうやって無理して頑張り続けると、結果は出ますが、後輩ができた時に後輩にもその頑張りを強制してしまうことになり、後々自分が罪悪感を覚えることになります。そうこうするうちに疲労困憊になって、やっぱり組織の中で働くのは無理だと思ってしまうのです。

現代日本社会において数年ごとに転職する人には、エリート経歴か高学歴である場合以外、過酷な職場環境の求人しか残されていないことが多いので、私にとっての転職先は無理する必要のある職場環境がほとんどです。無理しなくてもできる仕事の大半は、機械がやる時代ですからね。

そうやって、これまで分不相応に高すぎる理想を追い求めて、能力・精神面が全く伴わないのにビジネス書を読み漁り、何とか仕事ができる人間になるように無理してきました。

が、中身がない人間がいくら高尚なスキルを身に付けたところで、土台や基本がないから身にならない…それゆえ結果が出ても自信には繋がらず、意欲を失っていくばかりなのです。

それに気付いたら、自分が無理する必要がある環境で働くのはやめようと思いました。後輩を育てながら既存組織を良くできる器なんて自分にはない、ということをようやく自覚できるようになったのです。

これまでは理想を高く持ちつつ、未来の可能性を縮めないようにやってきましたが、これからは理想を追い求めず自分ができることを探してやっていこうと思います。

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奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、心理、(セミ)リタイア、海外移住、晴耕雨読生活などを 追い求めて暮らしています。

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