ぺんぎんメモ

1人じゃなくても孤独な人は孤独、1人でも孤独じゃない人もいる

time 2019/02/28

『「普通がいい」という病』の内容をしつこいほどご紹介してきましたが、それも今日とあと1回で終わります。長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございました。どうか、あと2回ご辛抱いただけると幸いです。

さて、今回は「孤独」についてです。最近、将来的に1人で生きる可能性が高そうだと思える出来事があり、湯船に浸かって考え込んでしまいましたが、その際この本にある「賑やかな孤独」という項目に、記載しておきたい内容があったのでご紹介したいと思います。

自分にはパートナーがいないとか、友達がいないとかそういうことで「孤独」を嘆いている人もいますが、そういう人たちは「孤独」が淋しいものだという固定観念を持っています。そして、自分が賑やかになるためには、誰か他の人が一緒にいてくれることが必要だと思い込んでいるわけです。

しかし、私たちは映画を見る時も、本を読むのも、物を食べることも、実は一人一人でやっている。どんなに大勢並んで同じ映画を見ていても、それぞれ一人で見ているのです。もちろん、後で感想を言い合ったりすることはあるでしょうが、やはり一人で見て感じたことには変わりがない。ですから、一人としての充実をきちんと見つめないと何も始まらないし、誰かといなければ幸せになれないわけではないのです。(p140)

子どもに「友達100人できるかな~♪」の曲を歌わせ、「皆と仲良くしましょう」という固定観念を刷り込み、あたかも1人でいるのはマイナスのような意識を植え付けている日本社会ですが、それは個人に対して、病的な結びつきを強要しているとしか思えません。社会が個人を尊重できないんですよね…

長らく各村で農耕民族だった日本人にとって、他地域の人間と付き合うのはストレス以外も何者でもなく、無理して付き合えば精神病になってしまうのも当然かもしれません。他国にはないパチンコ文化が日本に根付いたのも、それと無関係ではない気がしています。

ウマの合わない人間同士を無理に付き合わせて、各々の人格形成に悪影響を与えるより、「合わないヤツとは最低限付き合えばいい」という立ち位置や「1人でいる自由」など、善悪や好嫌の二元論ではない考え方が社会全体にもっと浸透してもいい気がします。日本社会では難しいのかもしれませんが…

著者は、よくある「依存関係」が「孤独」を解消すると勘違いしている人に対しても、

寄りかかり合い、もたれ合って、最初はそれも可愛いとか安心すると錯覚するにしても、ある時必ず、どちらかがウンザリして鬱陶しく思うようになってしまいます。(p140、141)

とバッサリ。でも結構多いと思うんですよね、依存関係って。「共依存」関係にある親子は多いと思います。私自身、友人や母と依存関係だった頃があります。自分が自分で立てるようにならないと(精神的にも経済的にも)、共依存関係からは抜け出しにくいと思いますが。

人間というものは、脚力と同じで、自分一人を支えるくらいの力しか持たされて生まれてきていませんから、他人の分まで背負うことはできない。ですから、夫婦・恋人・友達・親子といった親密な人間関係でも、また治療関係においても、それぞれが自分の足で立っていて、たまたま同じ方向に向かって、並んで歩いているに過ぎないことをわきまえる必要があるのです。

よく、ある時期まで二人同じ方向に同じスピードで歩いていたけれども、ある時片方の人が立ち止まってしまって、二人が噛み合わなくなり、別れたりすることもあります。それは、とても自然なことです。夫婦関係も親子関係も、もちろん友人関係も、それは永続的に保証された関係ではないのです。日々、人間は変化するものです。その変化する存在同士が結び合う関係というものは、日々変化して当然なのです。しがみついたとしても、そうすればするほど相手の気持ちは離れていってしまいます。安住できる固定的な人間関係は存在しないのです。

ですから、それぞれが自分らしく日々を生き、そして今の自分に合った人間関係を、日々新しく結ぶ必要があるわけです。(p141)

『50代から始める知的生活術』で外山滋比古氏も、「若いときの友人関係は、もう賞味期限が切れています。賞味期限の切れたものは、捨てて、買い換えないといけないのです。」と書いています。極端な気もしますが、学者はそんな風に世間の常識に捉われない考え方によって、健康な精神と身体を培っているのかもしれない、と思うと妙に納得しました。

「自分らしく日々を生き、そして今の自分に合った人間関係を、日々新しく結ぶ必要がある」と言われると、かなり難しいことのように感じます。が、それだけ個人が変化していくのは当然のことであり、同時にその事実を受け入れる成長が、個人と社会両方に必要なのだろうと思いました。

それを「欲望」によって縛り付けようとすると、相手を苦しめることになる。だからこそ、個人個人は自立した関係でいる必要があり(精神的にも経済的にも)、自立できていれば他者の変化も受け入れられるから、誰かが離れていっても執着しない。さらに、1人でいても孤独とは思わず逆に気楽だと思えるのかもしれません。

まあ、個人が尊重されている社会で生きていれば、1人が孤独という固定観念に縛られることもなく、1人であろうがなかろうが、孤独とは思わないかもしれませんが。

ちなみに1人暮らしをしていた時、1人でいても孤独と思わない時もあれば、孤独と感じる時もあって、日によって感情に振れ幅がありました。こういう場合は「依存」と「自立」の狭間にいるという解釈で良いのかな…

今後回り道でも良いからなんとか自分の道を見つけて、その道を自分なりに歩む中で自立した生き方を求めていきたいものです。

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奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、心理、(セミ)リタイア、海外移住など追求して自由に暮らしています。

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