ぺんぎんメモ

立ち止まりやすい社会ほど生きやすいのかも

time 2019/03/16

最近寝る前にふと考えていたのですが、政府やメディアや世間(根拠のない噂なども含む)の情報に流されて生きる人が多い社会では、人生の途中で立ち止まって考えたり、休んだり、方向転換したりすることを良しとしない傾向が強いから、閉鎖的で窮屈で生きにくいのかも?という気がしました。

もちろん、立ち止まったり休んだりすることが当たり前となるような、経済的に破綻した社会が良いとは思いません。経済的に力が無ければ他社会に影響力を与えることができず、侵略されたり酷い扱いを受けたりするかもしれませんし、開放的で安楽な社会であり過ぎれば、他社会にある二枚舌やシラ切り、嘘つき慣習を見破れずに、搾取されたり酷い扱いを受けたりするかもしれませんから…

ただよく知っている日本社会で見ると、政府、企業、教育機関が結託して用意した各レールに、子どもをのせて高齢者になるまで運び続けるために、幼少期から高齢期に至るまであらゆる手段を使い庶民を洗脳している感があります。そんな社会はとても閉鎖的で窮屈で、生きにくいような印象を覚えます。

公共交通機関やインターネットが発達して、少なくとも100年前よりは人・物・お金・情報の移動は活発になったと思います。でも、だからといって思想や価値観、固定観念などは、個人のアイデンティティであったり各土地を形成する成分であったりするせいか、大都市以外ではなかなか変化していきません。

そうした思想や価値観、固定観念が、各地域の治安維持に役立っている面もあるのかもしれませんが、政府、企業、教育機関の用意したレールに乗せるための根拠として使われていたり、多様な生き方を認めない足かせとなっていたり、子どもの能力発揮を制限する理由となっていたりする場合には、ちょっと重苦しく感じてしまいます。

ただ、日本社会にとって救いなのは、他国よりも国民の識字率が高いこと。インターネット等で国内外の情報が手に入りやすくなった現代環境では、様々な生き方を知る機会が爆増しました。

これによって、江戸時代にチェンバレンが日本人の本質として指摘していた、「外国を模範として真似するという国民性」が生かされ、諸外国の人々の生き方を模範として真似する行動が生まれているためか、多様な生き方が増えつつあります。一昔前より、立ち止まったり休んだり方向転換したりしやすくなったと思います。

もちろん経済的に難しい部分もあるかもしれませんが、人生で何度か立ち止まって考えたり休んだり方向転換したりすることが、社会で自然と受け入れられるようになれば、閉塞感を覚える生きづらい社会も少しずつ変わっていくように感じています。

       



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奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、(セミ)リタイア、(海外)移住、晴耕雨読生活などを 追い求めて暮らしています。

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