ぺんぎんメモ

EQ・(1)自分自身の情動を知る

time 2019/03/18

1950年頃まで大半の心理学者は、社会的知性(EQ)について、他人を自分の思いどおりに操縦する技術にすぎないと皮肉な視点で見ることが多く、1960年代に知能テストを論じたある有名教科書でも、社会的知性を役に立たない概念として切り捨てていたそうです。

ただそれから数十年が経過し社会的知性軽視の傾向は薄れ、日本でも20年以上前に『EQ こころの知能指数』が出版されて以降、急速にEQへの注目が高まっていったそうです。

とはいえ、近年日本社会で精神的な病が激増しているのを見ると、高すぎるEQも問題なのでは?という気もします。例えば、幼少時代に情緒的虐待を受けた過去を持つ人は、周囲の人間の感情を察知する能力に優れていることが多いですが、その能力は「境界型人格障害」という不安定な情動で苦しみをもたらすことが分かっているからです。

ただEQには5つの領域があり、不足している領域を適度に高めることで得られる効果もあると思うので、知られていないEQ(こころの知能指数)の重要性でも紹介したEQ5領域を、『EQ こころの知能指数』から抜粋しながら順に紹介していきたいと思います。

まずは「自分自身の情動を知る」領域からです。情動とは強く激しい喜怒哀楽の情のことですが、心理学用語では、感情が沸き起こる際にとる行動や自律神経の動き、その感情の変化をまとめてそう呼んでいるようです。

情動の自己認識、すなわち自分の中にある感情を認識する能力は、EQのいちばん大切な基本だ。第四章で詳説するが、自分の中にある感情をつねにモニターできる能力は、自分自身を見つめ理解するうえで絶対に必要だ。自分が何をどう感じているのか把握できなければ、感情の波に押し流されてしまう。自分自身の気持ちがよくわかっている人は、迷わずに生きられる。結婚するにしても就職するにしても、そのことに関する自分の本当の気持ちに自信が持てるからだ。(p85、86)

自己の心的状態を現在進行形で認識することを、著者は「情動の自己認識」と表現していますが、感情の変化を認識するためには精神的余裕が不可欠だと思うので、日々の生活に忙殺されている状況では難しそうですね…

私など精神的余裕があっても、怒りの感情が沸いた時などは冷静さを欠いてしまうことが多く、すぐにブツブツと口に出してしまいます…ゆえに怒りの感情をクールダウンできるのは、その現場を離れてある程度1人で好きなことに打ち込んでから…

ただ著者は、

自己認識は情動の嵐の中にあっても内省を維持できる中立的な心理状態のことだ。(p92)

と述べ、ピーター・サロヴェイと共同で情動の知性を理論化したジョン・メイヤーも、

自己認識とはすなわち「自己の気分を認識し、また、その気分に対する自己の思考を認識すること」だ。(p93)

といい、自分の感情の動きを認識する重要性を強調しています。そして、

「いま自分が心に抱いているのは怒りだ」という認識は、怒りにまかせて行動するのをやめるという選択肢だけでなく、怒りという感情そのものを放棄する選択の自由を与えてくれる(p94)

と述べています。さらにジョン・メイヤーは、人間が自分自身の情動に対処するパターンを三つに分けています。

〈自己認識型〉このグループは自己の感情を認識する能力があり、ある程度まで感情をうまく処理する能力を持っている。自分の感情を明晰に把握できるおかげで、このグループの人々は自律性が高く、自分の限界を知り、健全な心理状態を保ち、積極的な人生観を持つことができる。不快な気分になったときも、くよくよ考えこんだりしないで早期にぬけ出すことができる。自分の気持ちがはっきりわかっているので、感情を適切に管理できる。

〈埋没型〉このグループは、感情の波にのみこまれたまま脱出できない状態にしばしば陥る。気分が不安定で自分自身の抱いている感情をはっきり認識できないので、状況を展望できず感情の中に埋没してしまう。その結果、自分の感情をコントロール不能と感じ、不快な気分からぬけ出す努力をほとんどしない。このグループの人々は感情に圧倒され翻弄された気分になることが多い。

〈受容型〉このグループは自己の感情を認識することはできるが、それを受容してしまうことが多く、したがって気分を変える努力をしない。受容型は、ふたつのタイプに分かれる。ひとつは、いつもだいたい機嫌がよく、したがって気分を変えようという動機がないタイプ。もうひとつは、不快な気分に陥りがちでそれを自覚しようとしているにもかかわらず、何もしないで放置し受容しているタイプ。絶望感に屈服してしまったうつ病患者などは、このタイプだ。

(p94、95)

自分のこれまでの人生を思い返すと、主に〈埋没型〉と〈受容型〉をミックスしたようなタイプだった気がします。最近は時々〈自己認識型〉っぽい時もある気がしますが、極度のストレスを感じると〈埋没型〉になりやすく、何もストレスを感じていない時は〈受容型〉(の前者タイプ)と〈自己認識型〉をミックスしたような感じになっている気がします。

さて、情動を過剰に意識する人がいる一方で、情動をほとんど意識しない人もいるそうで、心理学者エドワード・ディーナーによると、一般的に男性よりも女性のほうが情動を強く感じるとのことです。

感受性が強い人は嬉しいことでも嫌なことでもほんの小さな刺激で情動の嵐に包まれ、逆に感受性が極端に希薄な人はどのような切迫した状況におかれてもほとんど何も感じない。(p98)

精神医学でいう「失感情症」に、感情を表現する能力の欠如があるそうですが、

失感情症の臨床的特徴としては、感情(自分の感情も他人の感情も)を描写できないこと、感情に関する語彙が極端に少ないことなどがあげられる。失感情症の患者は種々の感情を区別できないだけでなく、感情と肉体的感覚を区別することもできない。~中略~

失感情症の人は何も感じないわけでなく、自分の感情をはっきりと把握して言葉で表現することができないのだ。(p99、100)

とのこと。上記文章を読むとまさに過去の自分の状態で(今もその傾向があるような気がしますが)、思わず頷いてしまいました。感情に関する語彙が少なすぎるからだけでなく、自分の感情を把握できないから言葉に表せないのだと思います。

だからこそ自分が好きなことが分からないし、嫌なことも分からない。そういう状態では何らかのきっかけがない限り、好きでもない方向へ延々と進んでしまう可能性があります…当然人生における満足度も低いと思います。

感じたことに与える言葉を持たない失感情症の患者は、感情を自分のものにすることができないだけでなく、情動の自己認識能力がない状態にあるそうです。そういう状態では感情を認識していたとしても、その感情がどの言葉に結びつくかが分からないから、何となく語彙を選んで生きていくしかないのかもしれません。

自分の情動を認識する能力には個人差があるので、情動の自己認識能力が不足しているからといって失感情症であるとはいえないようですが、感情を把握できなかったり感情を言葉で表現できなかったりするのは、その能力が特に必要とされる社会に属している場合には、特に辛く苦しいものになる可能性が高いと思います…

それだけでなく、自分の情動に関する認識能力が不足していると、感情の波に飲みこまれやすく、無意識のうちにものの見方や反応の仕方が、その感情によって影響を及ぼされてしまい、正確な判断を下しにくくなってしまう気がします。

自分の情動を認識する能力は、満足度の高い人生を歩むために不可欠なだけでなく、次に紹介する「感情の制御」(不快情動をふりはらい、バランスをとる能力)にも繋がる重要な能力です。

何らかの感情を覚えた際、どんな感情の動きがあるのか、どんな行動をとるのか、どんな表情なのかを意識して観察するようにしてみると、色々な発見が見えてくるかもしれません。

       



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奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、心理、(セミ)リタイア、海外移住、晴耕雨読生活などを 追い求めて暮らしています。

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