ぺんぎんメモ

EQ・(4)他人の感情を認識する

time 2019/04/05

『EQ こころの知能指数』(ダニエル・ゴールマン、1998)に掲載されていたEQ5領域のうち、今回は「他人の感情を認識する」領域について書こうと思います。過去に紹介した領域はこちらです。

著者は「他人の感情を認識する」領域について、

共感もまた情動の自己認識の上に成り立つ能力であり、根本的な人間関係処理能力だ。第七章では共感のみなもと、他人の感情に音痴であることの社会的代償、共感が愛他主義につながる理由などについて考察する。共感能力にすぐれている人は、他人の欲求を表わす社会的信号を敏感に受けとめることができる。そうした才能は他人の世話をする職業や教師、セールス、経営などに向いている。(p86、87)

と説明しています。

以前知られていないEQ(こころの知能指数)の重要性で、他人の感情を認識する能力が高すぎると自分の感情が分からなくなり、結果として精神的な病を発症すると考えている旨を書きましたが、著者は、

共感は情動の自己認識のうえに成り立つものだ。自分の情動に心を開ける人ほど他人の気持ちも理解できる(p181)

と述べています。

つまり「他人の感情を認識する能力が高すぎると自分の感情が分からなくなる」と思っていたのは間違いで、自分の感情を限定的にしか認識できていないから、他人の感情を限定的に過剰に認識してしまう、ということなんだと思います。

そう考えると、自分の感情をまんべんなく認識できていれば(喜怒哀楽などすべて)、他人の感情を限定的に過剰に認識することはないのかもしれません。

なぜ自分の感情を限定的にしか認識していなかったのかを考えてみると、子どもの頃から感情を抑制せざるを得ない場面が多く(持って生まれた性格と、軍隊教育のため)、自分の感情を認識する機会自体が少なかったからだと思います。著者によれば、

サディスティックな脅し、屈辱的な扱い、あるいは粗暴な親などの下で極度の情緒的虐待にさらされて育った子供たちは周囲の人間の感情を過剰に警戒するようになり、自分を虐待した大人が見せた感情に対して異常な敏感さを示す。他人の感情に対するこのような強迫的先入観は、心理的に虐待されて育ち成人後も「境界型人格障害」と診断される不安定な情動の揺れに苦しむ人々に共通して認められる。このような人たちの多くは周囲の人間の感情を察知する能力にすぐれており、幼少時に情緒的虐待を受けた過去を持っている場合が多い。(p192、193)

とのこと。

私が過ごした公立学校教育の各空間は閉鎖的であり、暴力アリの情緒的虐待が横行していましたから、その空間で半日以上を過ごす生活を3年も続けていれば、その空間を離れた後でも、他人の感情に対する強迫的先入観を持ち続けてもおかしくはないかと思います。ここには書けませんが、きっと今でもその地域では情緒的虐待による教育が続いているはずです。

ちなみに、限定的にしか自分の感情を認識できていない場合、他人の感情にも限定的に音痴になっている可能性があります。感情音痴である場合、

他人の言動に織り込まれた情動のメロディーや和音 ― 声の調子、身じろぎ、雄弁なる沈黙、隠しきれない震え ― にも、まるで気づかない(p181)

のだそうです。

確かに、考えてみると私は他人の不快感情には気付きやすいのですが、それ以外の感情には無頓着で、周囲にいる相手を細かく観察することに慣れていません。相手をジロジロ見るのは失礼だと思ってしまうんですよね。不快感情以外の感情に音痴なのは、そういう部分が原因なのかもしれません。

他人がどう感じているかを察する能力は、セールスや経営から恋愛や子育てにいたるまで、あるいは気配りから政治的行動にいたるまで、人生のありとあらゆる場面で必要になる。~(中略)~

人間の感情は、言葉よりも言葉以外のしぐさをで表現されるほうがはるかに多い。(p182)

というので、かなり遅くはなりましたが、これからでも感情音痴をなんとか克服して、周囲の人々の不快感情以外の感情を認識できるようになりたいものです。

そのためには、自分の感情をまんべんなく認識することが不可欠なので、これからも継続して抑えつけていた過去の感情の浄化に努めたいと思います。

これまでの人間関係を振り返ると、相手が私といて楽しいとか嬉しいとか喜んでいる場面に、素直に共感できないことがありました。何か計算や裏があるんじゃないか、表面的に合わせているだけなんじゃないかとか、考えることが多かったのです。

それは情緒的虐待によって他人の感情を限定的に認識する癖がつき、自分の感情だけでなく他人の感情も正確に認識できなくなっていたからだったようです。

もちろん自己肯定感が低いとか自己無価値感が高いとかもあったと思いますが、主原因は自分の感情を限定的にしか認識できないために、他人の感情を正確に認識できていないことにあったようです。一気に腑に落ちました。

となると、自分の感情をまんべんなく認識でき、他人の感情を正確に認識できるようになれば、他人が自分と一緒にいて楽しいことを信じられるようになるかもしれません。そうなれば他人の特定感情に怯えることなく、今よりも自分の意志を貫くことができるようになる気がします。

       



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奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、心理、(セミ)リタイア、移住など追求して自由に暮らしています。

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