なぜ日本人は無批判・無抵抗に近代化へ流されてしまうのか

何度かご紹介している『海外農村視察必携  世界の農業をどうとらえるか』(七戸長生、1993)から、今回も明治時代初期から変わっていないと思われる、日本人と日本社会の性質を示す箇所をご紹介したいと思います。

明治時代初期に日本に滞在した、イギリス人画家チャールズ・ワーグマンが指摘した日本の社会風俗も、江戸時代から続く「その場しのぎの安易な目線」から脱却するのは難しいで紹介したドイツ人医師ドクター・ヘルツ(1876~1906年まで日本に滞在)と似たような視点で捉えられています。

ワーグマンは、当時日本で見た最新情報を臨場感あふれるスケッチで描いていますが、それは写真技術が発達していなかった時代(画家を現地に常駐させなければ、すぐれた報道が難しかった時代)において重宝され、1862~1887年まで『ジャパン・パンチ』という時局諷刺雑誌を自ら発刊するほどでした。

そんなワーグマンが描いた当時の日本の時局諷刺画が、前褐書に掲載されていたので、文章でいくつかご紹介したいと思います。

  • 横浜に住む外国人の子供のための学校に、猛勉強のせいか全員眼鏡をかけた日本人英語学生が大挙してつめかけている様子を示した画は、英語勉強熱と舶来眼鏡の流行を諷刺したもの(1866年に描かれたもの)。
  • 「1874年の年賀に向う公式礼服を着用したモダンな日本人たち」というキャプション付の諷刺画は、ワーグマンから見て、日本人がブカブカの帽子、ダブダブの洋服でゾロゾロ行進するのが、仮装行列のように異様に映っている様子を示している。
  • 「牛肉を食べ、ビールを飲めば一人前の人間になれると思っている愚かな鳥の肖像」というキャプション付の諷刺画は、無差別に西洋文明の上っ面を受け入れようとしている1872年当時の日本の風潮を、痛烈に諷刺している。
  • 1881年に、日本は来年条約が改正されると夢見ているようだが、これに対してイギリス公使パークスは「日本はまだまだ貧しくて、欧米諸国との対等条約は無理だ」から、それを自覚して「目覚めよ!そして働け」と言っている様子を示した諷刺画。(p139)

著者はこれらの諷刺画を見て、「日本には日本人らしい近代化の道があるのではないかといっているようにも見える」と述べていますが、ドイツ人医師ドクター・ヘルツも、

「日本人が文明開化の叫びの中で、日本の古いものはなんでも悪いと恥ずかしがり、西洋のものをなんでも良いとする風潮」を憂え、「機会あるごとに日本のすばらしさを日本人に教え」、「講義の時にも日本青年の自尊心の昂揚に努めた」(『ベルツの日記 上』)

と書いています。

それだけ外国人の目から見れば、日本人が「日本独自のものを恥ずかしい」と言って簡単に捨て去る行為が異様に映ったのだろうと思います。

国内知識人の中にも、日本の独自文化・文明に自信をもたず、西洋文化を手放しで称賛する風潮に苦言を呈した人がいましたが、西洋称賛は止まらなかったようです。

とはいえ、当時欧米諸国が台頭している世界で、日本人らしい近代化ができる余裕があったとも思えませんが…

そんな当時の近代化の流れに対し、著者は日本人がそのように無批判・無抵抗に流れされてしまう原因を、次の3つに挙げています。

  1. 他人に先んじていち早く最新の情報、最近のファッションを採り入れたいという個人的功名心
  2. いち早く新しい流行を創り出し、一流一派を編み出そうとする強度の専門主義
  3. こういった知的好奇心の中に芽ばえる優越芯がコリ固まることによって形成される権威主義(p141)

1は万国共通のものであると書かれていますが、日本人に特にその傾向が強く表れているのは、鎖国と言葉の壁によって情報制限が強化された社会環境と、閉鎖的村社会における監視型コミュニティで強化された他人の目を異常に気にする環境にあるようです。

同じく2も万国共通の性質ではあるものの、日本人は特に専門性への依存・従属が強く、その筋の専門家が「これは欧米で最も進んだ方法である」と言うと、こぞってそれに追随します。

が、その専門性を日本社会に合った実用的なものにするには、様々な分野の人間が集まって行う知的な共同作業が不可欠にもかかわらず、日本ではそれが行われていないとのこと…現代と同じです。

3は、日本において海外の情報に容易に接しうる立場にある人は、一般人に対して偉い人や近づきがたい人という印象を与えがちで、発言も絶対化されやすく、無批判・無条件に意見が受け入れられやすいといいます。

さらに、儒教的な権威主義が、最新の技術、学術、文化の受け入れ場面にも横行する風潮が、当時から今まで続いており、それによって前述した原因2「専門性の壁(専門主義)」も際立たせてしまっているというのです。

ただ、上記原因以外にもチェンバレンが指摘した日本人の本質である、

知的訓練を従順に受け入れる習性や、国家と君主に対する忠誠心や、付和雷同を常とする集団行動癖や、さらには外国を模範として真似するという国民性の根深い傾向(『逝きし世の面影』p17)

も強く影響していると思います。

そしておそらく、日本が島国でありながら地理的に心配が尽きない場所に位置していることにより、外国からの新しいものを表面的にでも受け入れることが国防になってきた歴史と、国内において庶民の大半が閉鎖的村社会で生きてきた中で、無批判・無抵抗に多数派に流されることが自分の身を守ることに繋がってきた歴史が、関係しているとも思います。

村長や上長が決めた新しいものを無批判・無抵抗に受け入れることが、自分の身や家族を守ることに繋がってきた歴史があったからこそ、今なおそれを無意識にやってしまうと予想します。

実際問題、そうやって明治時代に表面的にでも受け入れた近代化のおかげで、江戸時代まで存在した非人道的・人権無視行動が激減するきっかけになったはずなので(まだまだ残っている部分はありますが…)、良かった面もあったと思います。

ただ、庶民の自由があらゆる面で制限され、軍国化によって経済的貧しさが生まれ、近代化・軍国化に伴う性格矯正が生じ、結果として江戸文明が失われてしまったことは言葉にできない虚しさがあります…

江戸文明を失った結果得たものが酷い形とならないためにも、上っ面の浅い知識・技術を習得する風土からは脱却し、そこに至った精神までも理解する風土を、長期的視点で養う社会になってほしいと思います。