ぺんぎんメモ

子ども頃に読めば良かった『勉強しなければだいじょうぶ』

time 2019/11/11

最近読んだ『勉強しなければだいじょうぶ』(五味太郎,2010)。

幼少の頃から「勉強しなさい!」と言われて、大半の人は世間体や将来を気にしながらそれなりに勉強する。けれど、実際のところ「勉強」はやらされる感の強いもので、国民を画一化させるものに過ぎない。つまり「勉強」では個人は尊重されず潜在能力も伸びない……結局必要なのは「学習」でしょ?という内容です。

本の中で印象的だったのは、子どもは親を愛しているけれど、親は子どもを愛しているフリをしている、という点。親は社会のほうが気になり(世間体が気になり)、最初は子どもの気持ちを考えようとしているけれど、そのうち子どもの気持ちを考えるのを止めてしまうと書かれていました。

そしてその原因は、自分を愛することを侵害・妨害される歴史の中で生きてきたからであり、その歴史は明治以降の教育制度に始まったと指摘されています。

そうやって愛し方を知らない親が増えた結果、親が子どもを愛したり信用したりする形が崩れ、その不足を補うために「家族愛」とか「家庭ごっこ」みたいにベタベタした作為的な関係がもてはやされるのでは?とも指摘しています。

今の日本は子どもを生物学的に見る習慣がなく、社会の中もしくは学校の中でしか個人を見ないことが当たり前になっていて、それが個を失わせている原因にもなっているとのこと。

確か、江戸時代の子どもは社会全体から尊重される存在だったでも、江戸時代の日本では子どもをよく観察して育てる親が多かったという内容がありましたから、当時は子どもを生物学的に見る習慣が社会にあったのかもしれません。

ただ、親が子どもを観察するためには十分に時間を割いたりして、子どもの行動を待つことが求められるというので、現代社会で子どもをよく観察できる親は限られる気もします、忙しいとじっくり観察する余裕なんて持てなそうですし、自己愛の強い親だと自分のことで一杯そうですし…

とはいえ、鎖国してない現代日本において既存の学校制度で、金太郎飴みたく企業戦士を育てていたのでは、世界には到底太刀打ちできず国内産業は駆逐されていくばかりでしょうし、行政制度においても時代に合わせて変えていく方法を生み出せず、結果として社会全体の行き詰まりを招くことになってしまうように思えます…

日本国憲法13条で「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。」と個人の尊重を謳っています。

が、実際には公共の福祉?が幅を利かせ、学校制度に始まりあらゆる社会で個人の尊重はほぼなされていない状況にあると感じています。小・中・高と私立ではない学校に通った身としては、五味氏が指摘する学校制度の問題は心底共感できる内容でした。

       



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奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、(セミ)リタイア、(海外)移住、晴耕雨読生活などを 追い求めて暮らしています。

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