『反教育論』引きこもりから創造性や独自性が生まれる

何度かご紹介してきた『反教育論』の内容ですが、今回で終わろうと思います。

最後にご紹介するのは、「アンダー・コミュニケーション」の大切さについてです。

著者はまず、社会人類学者であるレヴィ=ストロースが1977年にラジオで行った、文明や文化に対する講和における言葉を紹介しています。

ある文化が、真に個性的であり、何かを産み出すためには、その文化と構成員とが自己の独自性に確信を抱き、さらにある程度までは、他の文化に対して優越感さえ抱かねばなりません。その文化が何かを産み出しうるのはアンダー・コミュニケーションの状態においてのみなのです。(p192)

そして、

「ある人間が何かを産み出しうるのはアンダー・コミュニケーションの状態においてのみである」(p192)

と指摘をしています。

F・フロムーライヒマンも『人間関係の病理学』(早坂泰次郎訳、1963)において、

われわれはまた、創造的オリジナリティをもつほとんどあらゆる業績が、建設的孤独の状態において芽生えるものであることを思い起こすべきである。(p408)

と述べ、アンダー・コミュニケーションの必要性を指摘しています。

さらに、岡倉天心も『茶の本』(桶谷秀昭訳、1994)で、

日本が長いあいだ世界から孤立していたことは、内省に資するところ大きく、茶道の発達にきわめて好都合であった。(p14)

と、茶道という日本文化の発達に、鎖国が大きく寄与したことを指摘しています。

私自身ひきこもり体質であるせいか、生活内の割合としてアンダー・コミュニケーションが減ると、

途端にエネルギー不足に陥ってしまい、創造的・意欲的行動が失われてしまいます。

が、これも独自性を守るための無意識の行動だとすれば、納得がいきます。

非日常空間として身近なホテルステイが人気ですが、これは普段のオーヴァー・コミュニケーション状態から逃れ、

アンダー・コミュニケーション状態へ身を置くことで、独自性を追及(回復)したい欲求の表れでもあると思っています。

そう考えると、都会から田舎への移住に憧れる人や、週末だけ田舎暮らしをする人なども、似たような感じなのかもしれません。

また、学校へ行きたくない子どもも、独自性を守るための行動としてアンダー・コミュニケーション状態を求めた結果、無意識にそうしているのかもしれません。

周囲とのコミュニケーションを拒絶する「ひきこもり」という状態があるが、この状態は、まさに究極の「アンダー・コミュニケーション」である。この状態に対して、よく周囲の人が犯す過ちは、無理やり外に引っ張り出そうとしたり、押しかけ的にコミュニケーションを図ろうとすることだ。(p192、193)

ひきこもりはマイナス要素として捉えられがちですが、著者は、

ひきこもっている当人は、あえてコミュニケーションを断絶することによって、自分という独自性をどうにか見つけ出そうと苦悶している。これがいずれ「自分という主体」がそれなりに形を見せ始め、心的抵抗力がある程度高まってくれば、自ら外に出てくるものなのである。(p193)

として、独自性を見つけ出す過程として見守ったほうがいいと述べています。

確かに、ひきこもることで、周囲に迎合し潰されてしまうかもしれない独自性を守れる可能性は高いと思います。

私を含めて、ひきこもる人やひきこもりたくなる人が多い現実をみると、それだけ社会全体がオーヴァー・コミュニケーション傾向にあるのではないかと思います。

また、日本社会や世間に、独自性をもった人間を排除したり排斥したりする風潮や風土が、根強くある証でもあると思います。

単に打たれ弱くなっただけではないか、という指摘もありますが、子どもの頃から失敗を許さない社会においては、子どもに対して非難しかしない大人が溢れている場合が多く、

打たれ強くなる機会さえ奪われている可能性が高いです。

公園で遊ぶ子どもの声でさえ「うるさい」「騒音」と言い、子どもを排斥してしまう社会ですから。

また、

「心」が「反抗」の声を上げることができない場合には、「心」の代わりに「身体」が病気の形をとって、その「服従」的人生に待ったをかけることもある(p127)

というように、「心」を守るために「身体」が率先して、アンダー・コミュニケーションの状態を選ぶ場合もあるようです。

もしかすると睡眠をたくさん摂ろうとするのも、アンダー・コミュニケーションの1つなのかもしれません。

表面的な言葉によるコミュニケーションよりも、信じて見守ることの方が、はるかに透徹した愛を届け、揺るぎなく温かい思いを伝えるものなのだ(p194)

という言葉通り、「信じて見守る」ことや「待つ」ことが非常に重要であるにもかかわらず、現代はそれらがとてつもなく難しくなっている感じがあります。

それでも、世界的にオーヴァー・コミュニケーションが常態化しているからこそ、あえてアンダー・コミュニケーションを大切にしながら今後も生きていきたいと思っています。

タイトルとURLをコピーしました