出雲大社は神々しさを感じられる早朝観光がおすすめで出雲大社を観光した後、日を改めて石見銀山へ行きました。
強行スケジュールのため、1番の見どころである間歩を見ることはできませんでしたが(間歩とは鉱山の掘り口のこと)、石見銀山周辺の街並みは観光できたので良かったと思います。
JR出雲市駅を拠点に観光していたため、「らとちゃんバス」というバスを事前予約し、
JR出雲市駅前からこのバスに乗って石見銀山まで向かいました。
このバスは、JR松江駅・玉造温泉・JR出雲市駅から石見銀山へ直行するバスで、7月~9月の毎週土日に運行されています。
ただ、40人乗りバスなのに私達を含めて乗客が3人しかいなかったので、少々贅沢な気持ちでした。
バス乗車後、約1時間で石見銀山に到着。
バスを降りて最初に向かったのが「石見銀山世界遺産センター」。
ここで観光案内地図をもらったり、知識を深めたりすると観光がスムーズに進むとのこと。
石見銀山は、1526年豪商の神谷寿禎という人が発見して以降、約400年間に渡って銀が採掘された場所。
最盛期には世界に流通した銀の約3分の1が日本産となり、そのうちの大半が石見銀山産とも言われています。
様々な有力者達が占領・奪還を繰り返していたということで、揉め事が絶えなかったとの話もあります。
余談ですが、石見銀山のバス停に降りた時から、閑散とした雰囲気のためか抱えてきた歴史のせいなのか、異様に寂しい雰囲気を感じました。
世界遺産センターを見た後は、石見銀山資料館へ。
石見銀山に関する資料はあまりなく、むしろ『解体新書』の方が目立っていました。
撮影不可で館内の写真が撮れなかったのが残念。
『解体新書』で有名なのは杉田玄白ですが、実際に訳したのは前野良沢。
ただ、前野良沢は名声にこだわる人ではなく完璧主義者だったため、名を連ねるのを拒否したというところに
前野良沢への関心を覚えました。
その後、歩いて熊谷家住宅へ。熊谷家は、銀山経営などをしていた石見銀山最大規模の商家で、国の重要文化財に指定されています。
当時の暮らしぶりが再現されていましたが、家の中はさすが広々としていました。
全てが巨大サイズです。多くの人が暮らしていたのでしょう。
道は空いていて、観光するには快適です。
昔のままの状態で保存or使用されている建物が続きます。
パン屋さんもありました。
こちらは、1888年に開設された旧大森区の裁判所。
現在は、旧法廷が一部復元されて「町並み交流センター」施設の一部として、無料公開されているようです。
センター内では、当時の銀の話について無料映像などが見れるようですが、時間がなかったので外観だけ。
長くなってしまうので、つづきは出雲市駅から「らとちゃんバス」で石見銀山(世界遺産)【後編】へ。