江戸時代庶民の暮らしは豊かだったが、明治以降徐々に貧しくなった

「明治維新は必要だった、あのまま鎖国を続けていたら列強諸国に植民地にされていた」などと多くの文献には書いてありますし、義務教育でもそう教えられます。

それは江戸時代末期に、他のアジア諸国が列強諸国の植民地となっている情報をオランダ経由で入手し、

「日本も他国に占領され植民地にされてしまう」という脅迫的思想が主流を占めていたからだろうと思います。

確かに、見たこともない巨大軍艦が突然来れば驚きますし、薩摩藩や長州藩は列強諸国と戦争もしていましたから、このままでは危ないという感覚はあったと思います。

明治維新を正当化?

ただ、日本列島には広大な国土もなければ資源もありません(その当時あったのは少量の金銀や豊かな自然、文化、そして人々の素養くらいでしょう)。

そんな中で「植民地支配から日本列島を守るために開国しなければならない」「欧米列強諸国に習って軍備増強する必要がある」「日本は遅れている」「文明開化や富国強兵をしなければ植民地化される」という偏った思想をもつのは、少々不自然です。

と同時に、それまで培った数多くの文化を捨て去ったことも異常です(国民性もあるかもしれませんが…)。

明治維新後、他国と幾度もの戦争に突き進んで、膨大な庶民の命を失いましたが、それは現代にまで傷跡を残しています。

それゆえ、明治維新で行われたことは何だったのか、そして明治維新が行われた結果として、江戸時代から明治時代になって庶民の生活はどう変わったのか、を知る必要があると思うのです。

江戸時代の庶民生活

江戸時代は県ではなく藩ごとに地域を治めていたため、多くの庶民に国民という意識はほとんどなく、

住んでいる土地にも国という認識はなかったはずです(村という認識はあったと思います)。

当時は藩単位の暮らしが基本なので、藩主が利発で豊かな土地を持つ藩に暮らす庶民は、豊かな暮らしができたはずです。

が、そうでない場合や自然環境が厳しかったり自然災害が多かったりする土地を持つ藩は、暮らしている庶民の暮らしも豊かではなかった可能性が高いです。

網野善彦氏の『日本の歴史をよみなおす(全)』や、宮本常一氏の『忘れられた日本人』を読むと分かりますが、

日本列島の生活は均質的ではなく、地域差がかなりあったようなので(東日本と西日本、山間部とそうでない地域など)、

一概に豊かだったor貧しかったとは言えないところがあります。

それでも江戸時代(~明治時代前期)は、明治時代(明治時代中期~)に比べれば重税もなかったため、

まだマシな暮らしをしていた地域が多かったのではないかと思うのです。

江戸時代は今と違い、お金ではなくお米が全ての基準で経済が回っていましたから、納税もお米で行われていました。

と同時に、お米以外に農作物や工芸品を作って販売することに規制がなく、作ったものを自由に販売することで蓄財もできたので、

地域や家にもよりますが、明治時代中期以降よりはマシな暮らしができた人が多かったのでは…と想像します。

江戸時代は男尊女卑ではない

お隣の国韓国では、女性を奴隷のように扱ってきた男尊女卑の歴史がありますが、日本では男尊女卑風土が確立されたのは明治以降と言われています。

明治時代から本格的に始まった男尊女卑社会
日本社会は昔から男尊女卑だったという風潮がありますが、実はそうではないようです。 韓国では女性を奴隷のように扱ってきたり、中国では纏足させられたり等の歴史がありますが、日本が男尊女卑社会として決定づけられたのは明治以降だと言われています。 ...

それは江戸時代の日本を見た外国人が、日本列島に住む女性が朝鮮半島に住む女性とは異なった扱いを受けていることを指摘している点からも明らかです。

江戸時代にも建前的には男尊女卑であったようですが、女性は離婚を繰り返しながらも社会的に差別されるようなことはなかったようですから、実際の生活では力を持っていたといえるはず。

もちろん、階級差や地域差はあったと思いますが。

なぜそうした事実が公になっていないのかは、明治維新時に明治政府によって歴史の書き換えが行われたためなのか、明治時代以降女性を都合よく扱うためだったのかは分かりません。

ただ明治以降、福沢諭吉が子女を海外へ売り飛ばしたり、明治中期以降にできた民法の家制度によって男尊女卑という概念が生まれたりするなど、

女性が江戸時代とは異なる扱いを受けるようになったことは確かです。

庶民を貧困化した重税

明治維新後、議会政治や貨幣制度、重工業の促進、義務教育制度、そして廃刀令や徴兵制など、西洋諸国に習った制度改革が行われていきました。

しかしながら、高いお金で講師を招いたり、工業化や機械化、軍事化を進めて技術を身に付けたりして欧米諸国に忠実に習ったところで、肝心の資源は他国にあるのですから輸入する必要があります。

同時に、当時世界各国の資源を管理しているのは資源を略奪した西洋諸国であり、そうした資源を輸入し加工するためには莫大なお金が必要です。

特に、軍事化を進めるにあたっては、外国から購入した武器や軍艦に莫大な国家予算を割いていました。

その予算の出どころは、庶民から徴収した高い税金であり(他国への人身売買で得たお金であり)、

軍事化を進めれば進めるほど税金が高くなり、国民の生活が苦しくなっていったわけです。

当時、国民の多くは農民でしたから高い税金を納めるために、もともと粗末だった食べるもの着るものが、さらに粗末に貧しくなっていくのは必然でした。

結果、飢饉が起こりやすくなったり、人身売買や劣悪労働が頻発したり、未開拓な諸外国への移住に足を踏み入れざるを得ない人々が出てきたり、、、したのではないかと思います。

明治時代に始まった北海道開拓に際しても、(最初に現地に送られた労働者は囚人だったそうですが、禁止されて以降は)騙されて人身売買的に送られ、非人道的な労働に使役させられる人々が徐々に増えていきました。

これは、農民としては高い税金を納められないがゆえに、兵士になるか奉公に出るか開拓地労働者になるかを迫られるほど、人々の生活が貧しかったことを表しているといえます。

江戸時代の身分に不満を持つ人々

明治維新を成功させるきっかけとなった薩長同盟ですが、これを結んだ薩摩藩(現鹿児島県)と長州藩(現山口県)には他藩よりも軍事力がありました。

そのため、当時の身分(下級武士?)に不満を持つ人々が、その身分から抜け出すために外国人の手を借り、

薩摩藩と長州藩、その周辺の藩で力を持つ人々とともに、明治維新というクーデターを成し遂げることになった、という説を個人的には有力視しています。

それは、その後の日露戦争において、実力・実績よりも出身藩によって出世が決まっていたからです。

それほどこの2つの藩は、明治以降の歴史を築く際にあらゆる力を発揮していて、特に長州藩(現山口県)は戦後~現在においてもそれが継続しているように見えます。

孝明天皇以降の天皇

明治維新に最も深く関わる人物として挙げられるのが、明治天皇です。

明治天皇の生母とされる中山慶子氏、つまり孝明天皇の種をもらった女性の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にあります。

しかしながらこの明治天皇の生母の墓へ、明治天皇をはじめとして皇族の誰も参拝に行っていないという事実があります。

現在の中山家当主は、「生母に関しては箝口令がしかれていて一切答えられない」と言います。

これは、明治天皇が孝明天皇と中山慶子氏の子ではないことを表わし、明治以降の天皇や皇族に孝明天皇の血が流れていないことの証といえるのでは。

明治時代には不敬罪という法律が公布され、天皇は神聖なものであるとして、孝明天皇の死因や明治天皇の出自を調査する者には懲役を含む刑罰が科せられていました。

しかしながら、こうした法律をわざわざ公布すること自体が、「明治天皇の出自が孝明天皇ではないこと」、

「孝明天皇と本当の明治天皇が伊藤博文や岩倉具視によって消されたこと」を証明することになっているのではないかと思います。

資源のない国を支配したかった理由

私は長い間、「植民地支配から日本を守るために開国や戦争をした」という論理に疑問を持ってきました。

開国や戦争をして得をするのは誰かを考えた際、それは日本列島に住む庶民ではなく、

日本を地理的に利用する価値がある国や組織、そして軍需産業で儲かる国や組織だと思っていたからです。

当時、欧米諸国は日本を工業化・軍事化させることによって、軍需産業を活性化させる類いのものを売りつけることができました。

と同時に、ロシアや中国などに近い日本列島を支配することは、欧米諸国にとって非常に都合が良かったはずです。

一方で明治政府のメンバーにとっては、欧米諸国の資金や軍備が非常に魅力的に見えたと思います。

結果、双方のニーズが合致したために明治維新を起こすことができたのではないかと予想します。

現日本政府は、後世に明治維新の正当性を押し付けるため、「列強諸国による植民地支配から日本列島を守るため」という論理を庶民に植え付けています。

が、明治維新で誰が得をしたかを考えると、軍需利権関係者および長州藩(&薩摩藩)関係者であり、

そう考えると明治維新の正当性は薄れてくるように思えます。

誤った歴史観の植え付け

もちろん開国によって工業化・機械化が進み、それまでは人力で行っていた危険・過酷なことも激減したと思います。

同時に、現代よりもさらに低かった江戸時代の人権意識も改善されたと思います。

各集落に字を読み書きできる庶民がほとんどいなかった江戸時代には、存在しなかった「時間」という概念も、

学校に通える庶民が増え、字を知る人が増えるにつれて浸透していきました。

とはいえ、庶民の犠牲者数でいえば江戸時代よりも、悲惨な開拓や戦争があった明治時代以降の方が圧倒的に多いはずです。

江戸時代まで持っていた金銀や豊かな自然、文化などは、明治~昭和に破壊されたといっても過言ではありません。

軍備拡張のため国民に重税と過酷労働を課し、衣食住の不足した環境下で過酷な生活をさせていたかと思えば、

貧しい地域の人々を騙して開拓民として送り込んだ挙句、非人道的な労働環境と過酷な生活環境により何万人もの犠牲者を出すなど、明治政府は庶民の生活環境を間違いなく悪化させました。

にも関わらず、明治政府および明治時代以降の歴史に対する正しい認識をさせずに、今日まできています(どこの国でもあることですが…)。

とはいえ、現代は古本やネットなどで調べようと思えばいくらでも調べられますし、

徐々に江戸時代の実態も明らかになってきているので、明治以降の歴史が周知されてほしいと思っています。