関東大震災の震源地は神奈川、横浜開港資料館で横浜の被害も甚大と知る

数年前に行ったもののきちんと見られず、心残りになっていた横浜開港資料館へ先日行ってきました。

平日の昼間に行ったせいか人が少なく、新館1階・2階にある展示内容をじっくり集中して見れて大満足でした。

正直言うと、横浜開港に関する資料は、数年前に下田・黒船ミュージアムで見たもののほうがインパクトが大きかったですが、

ちょうど関東大震災に関する企画展がやっていて、その展示内容のほうに関心を奪われました。

というのも、展示品である写真や手紙、手記などが分かりやすくパネル展示されており、

特に写真は白黒でありながらも、震度7の地震によって倒壊した結果、

空襲後のような姿と化した横浜のまちが、生々しく映し出されていました。

館内は決められた写真以外すべて撮影不可でしたが、そのおかげでより集中して見られた気がします。

初代横浜駅(桜木町駅)や二代目横浜駅(高島町駅あたり)、神奈川県庁周辺の被災後の写真から分かる全壊した建物群、がれきの山、

また、当時山手町や山下町に住んでいた外国人の手記、元街小学校教師・八木彩霞手記&スケッチが、

記憶にしっかりと残るほど甚大な被害でした。

恥ずかしながら、今回の展示を見るまで、関東大震災の震源地は東京で、被害は東京に集中していると思っていました。

しかし、震源地は神奈川(相模湾)であり、展示されていた地図をみても、

震源地の真上にある神奈川県の住家全壊率と震度分布のほうが東京のそれよりも酷く、

横浜市内の被災写真を何枚か見ましたが、空襲後の焼け野原のようでした、、、

というのも、何度か揺れた後、数十か所で暴風や強風が起こって火災が広がり、炭化したことも原因の1つのようです。

火災により亡くなった人も多く、今後仮に大地震が起きたら、住んでいる場所にもよりますが、

火災から逃れることも想定して動かなければならないと思いました。

中庭に立っていた玉楠の木。1854年に日米和親条約が結ばれた地のすぐ近くに立っていた木の生き残り。

旧館の記念ホール(旧英国総領事館)と敷地内にあったお土産屋さんを軽く見た後、

中庭の椅子に座ってクールダウン。

今後、これまで経験したことのない想定外の災害が発生したとしても、

大手メディアやSNSの情報に流されず、

できるだけ冷静に生活していこうと強く感じさせられました。