西安滞在時、興慶宮公園という公園へ行きました。
公園は、人々が楽しんで生きている空気に満ちていました。
興慶宮公園は、唐代の玄宗皇帝が楊貴妃と住んでいた興慶宮、の跡地に建てられた公園。
興慶宮の建物は唐代に戦火で崩壊しましたが、現在は復元されて園内に。
公園といってもその面積は広大で、散歩には最適です。
日本では味わえない趣ある雰囲気を味わえます。
園内には池もありボートに乗ることもできるようですが、
この公園に10回以上来て、一度も乗っている人を見たことがありません…
ちなみに、広場では多くの庶民が活動しています。まず、太極拳をする人々。
こちらは、何かの体操で体を鍛える人々。
健康器具で体を鍛える人々。
中国おもしろ健康器具でも紹介しましたが、日本では見かけない器具がたくさんあって面白い!
続いて、こちらは社交ダンス。
他にも楽器を演奏する人、周囲で歌う人々。
足元には、歌詞。
また、麻雀をやっている人々。
室内でも。
もちろん、座って休憩したりお喋りを楽しんだりしている人も。
ちなみに、園内には「阿倍仲麻呂記念碑」があります。
唐に渡った阿倍仲麻呂が、ここで玄宗皇帝に謁見したために建てられたそうですが、
設立年は、西安と日本・奈良市の友好都市締結5周年記念の1979年です。
とはいえ、大理石で作られた記念碑には「阿倍仲麻呂記念碑」と刻まれ、
側面には阿倍仲麻呂が故郷の奈良を偲んで詠んだ詩が記されていて、少ししんみりとした気持ちになりました。
西安には、同じように日本から渡中して青龍寺の恵果和尚を訪ねた空海がいました。
空海は、無事に日本に帰ることができ、弘法大使として真言宗を開きました。
が、当初20年だった滞在予定を2年で帰国したのは、「こんなところに長くは居らんねぇ」と色々な面で思ったからでは…(実際は天才だったため)
阿倍仲麻呂もあんな和歌を読んだくらいですから、心底帰りたかったのでしょう…
美味しい食事、清潔な街、美しい空気と水等々、故郷の景色以外にも思うところがあったはず。
そして、もし阿倍仲麻呂が日本に帰ることができていたら、おそらく歴史は大きく変わっていたはず。
とはいえ、阿倍仲麻呂はずば抜けて優秀で知的で文化的素養もあったため、
玄宗皇帝からの信用が厚く、なかなか日本に帰してもらえなかったといいます。
それでもようやく帰国許可が出て、来た遣唐使と一緒に帰国しようとしますが、
途中で船が遭難しベトナムに漂着する羽目に…ちなみに、このとき別の遣唐使船で日本に入ったのが鑑真和上です。
結局、阿倍仲麻呂は長安で生涯を終えるわけですが、そんな帰りたくても帰れなかった悲しみを思うと、
この興慶宮公園そして西安も違った景色に見えてくるような気がします。