の続きです。
初日にホテルで自転車を借りた後、橿原神宮前駅から飛鳥駅、道の駅を経由して、キトラ古墳へ向かいました。
橿原神宮前駅から飛鳥駅までは自転車で10分くらい、そこからキトラ古墳までは自転車でさらに10分くらいだったと思います。
飛鳥駅からキトラ古墳まではゆるい上り坂が続いたので、息が上がりました(帰りはラクチンでした♪)。夫も電動自転車ながら、太ももがキツいと言っていました。
が、天候穏やかな秋に、田園風景の中を自転車で駆け抜けるのは、何とも言えない気持ち良さでした!
今回、事前にキトラ古墳と高松塚古墳の壁画が、事前申込制により公開されることを知り、落選覚悟でネット応募しました。
残念ながら高松塚古墳壁画には落選してしまいましたが、キトラ古墳壁画には当選したため、指定時間に合わせて、最初にキトラ古墳へ行くことにしました。
キトラ古墳も高松塚古墳も、7世紀末~8世紀初期に造られたと推測される大陸風の壁画古墳です。
キトラ古墳壁画は、壁画部分ごとに年4回公開されていて、今回は白虎(びゃっこ)&天文図の壁画公開でした。
指定時間まで余裕があったので、先にキトラ古墳や関連展示を見ることに。道路から少し登ったところに見えてくる小山が、キトラ古墳です。
全体としてはこんな形になっているようです。同じ土葬の前方後円墳と比べて、小さな古墳です。
その後、壁画体験館 にてキトラ古墳に関する展示を拝見。
こちらは復元された石室ですが、先ほど見た古墳からも想像できるように、わりと小さな造りです。高さ1.2m、幅1.0m、奥行き2.4mだと、副葬品もそんなには入れられない気がします。
高松塚古墳との比較もあり、興味深かったです。素人目に見るとそっくりですが、石室内部に描かれた壁画やその他いろいろと違いがあるようでした。
頂いたパンフレットを読むと、さらに理解が深まります。
ちなみに壁画館1階の屋外には、芝生広場やお手洗い、売店(飲料・アイス自販機)などがありました。
芝生広場では、お弁当を食べたり、ヨガをしたり、運動したりしているご家族がいて、とても気持ち良さそうでした♪
その後、壁画公開の指定時間になったため、壁画体験館の壁画受付へ行き、パンフレット一式をもらいました。そして、入室時間に入室証シールを衣服に貼り、簡単な説明を受けてから壁画室へ入りました。
撮影禁止のため壁画室内の写真はありませんが、約1400年前のものであるためか見づらく、壁画自体も思ったより小さいなぁという印象でした。
が、さすが国宝と言われるだけあり、当時も中国から、技術的、文化的、宗教的その他あらゆる面で影響を受けていたことが分かる貴重な壁画でした。
ただ1番驚いたのは、壁画受付時に頂いた、この立派なクリアファイル付きパンフレット!
他の観光地で350円以上で売っていそうなクリアファイルに夫とともにビックリ…意外な形で税金の使途を突き付けられたため、その後の動揺が隠せませんでした。
文化庁から〇NP、〇通、〇ソナという中抜き構造疑惑により、観光意欲を若干削がれた気がします…
そんな空気を払拭すべく、次に向かったのは高松塚古墳!
キトラ古墳からは自転車で10分弱。こちらも最後上り坂ではありましたが、キトラ古墳へ向かう坂よりも短かかったためラクに感じました♪
高松塚古墳駐車場内の駐輪場に自転車を停め、高松塚古墳へはトコトコ歩いていきました。地下道を通り、田んぼの中の道を歩いていきます。
そうしながら歩いていると、ひょっこりと姿を現した高松塚古墳。大きくないため、近くまで行かないと気付かないかもしれません。
何というか…古墳なので想像するほかないのですが、こんな小山の中に1400年以上前の人が埋葬された石室があったとは。
発掘当時は雑木や竹林に覆われていたそうなので、よく発見できたなぁと思います。
2007年に壁画修理のために石室を取り出して、現在の姿は造られた当初のものを復元した形だそうです。
過去の盗掘で副葬品がほとんど盗まれたそうですが、神秘的な部分が多くて惹かれる小山です。
高松塚古墳を見た後は、高松塚壁画館 へ。
ここでは、壁画発見当時(1972年)の現状模写、一部復元模写、原寸大の「石室レプリカ」、副葬品である太刀装飾金具、木棺金具、海獣葡萄鏡のレプリカが展示されていました。
副葬品の1つである海獣葡萄鏡は、同じ文様の鏡が中国・西安の698年につくられた墓から出土したそうです。これにより、高松塚古墳から出土した海獣葡萄鏡は、遣唐使が中国から持ち帰った可能性が高いとされています。
ちなみに、高松塚古墳発見後に発行された記念切手による収益で建てられた施設だそうです。
こじんまりとした施設でしたが、展示内容が濃く、じっくり鑑賞できて大満足でした。もう1度見に行きたいくらいです。
先ほどのキトラ古墳もこの高松塚古墳も、金や銀を使った副葬品や豪華な装飾をほどこしたと推測できる木棺などから、かなり身分の高い人のお墓であることが分かっています。
また周囲に天皇陵が多いことから、同じく天皇陵ではないかという説があります(もしくは有力豪族)。
むしろ飛鳥地区を観光する中で、そうした古墳ぽい小山をあちこちで見かけたため、発掘すればいろいろ出てきそう!
歴史探訪好きな人にとって、飛鳥路は沼入りしてしまいそうな危険地帯ですが、さらに沼落ちしてしまいそうな飛鳥宮跡と飛鳥寺(飛鳥大仏)を、そのうちご紹介しようと思います。