坂道の多い長崎観光「グラバー園・オランダ坂・出島」

坂道の多い長崎観光「平和公園・眼鏡橋・新地中華街・崇福寺」にひきつづき、長崎市内観光の記録です。今回はグラバー園からご紹介。グラバー園へは、グラバースカイロードというエレベーターを使って行くのが便利。観光客だけでなく、急な道沿いに自宅のある住民の、貴重な足となっているようでした。

スカイロードを登る最中に見える景色は、長崎市内を一望でき素晴らしいものでした。ちなみにグラバー園は、国指定重要文化財の旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅を中心として、長崎市内に点在していた明治期洋館6つを移築復元したものだそうです。

こちらが旧グラバー住宅。スコットランドから来たトーマス・ブレーク・グラバーは、貿易商でありグラバー商会設立者です。幕末の志士を陰で支え明治維新を推進し、日本の近代化に尽力した人物としても知られています。その人物が住んでいた住居は1863年に建てられたもので、現存する日本最古の木造洋風建築として世界遺産に認定されています。

庭園内の池には立派な鯉が気持ち良さそうに泳いでいました。花が咲く季節はさらに美しいでしょうね。

庭園からは長崎港がよく見えます。きっとグラバーとその家族も、ここからの景色を楽しんでいたはずです。

グラバー像もあります。21歳の時に来日し貿易商として力を発揮する傍ら、多くの志士達を援助したり日本の近代化に多大な力を発揮したりしています。グラバーには日本人妻ツルとの間にできた子どもが2人おり、そのうちの1人である倉場富三郎も日本と外国を繋げるために尽力したとされています。

グラバー園を後にし下り坂を進んでいると、右手に大浦天主堂がありました。1864年に建設されたこの教会は、現存する日本最古の木造建築教会で国宝にも指定されています。

また大浦天主堂周辺には、長崎名物カステラの有名企業が軒を連ねていました。

こちらは全国的に有名な会社ですよね。

坂を下りきって街を歩いていると、西洋風の建物が目立ちます。長崎市内は地域によって街並みがガラリと変わりますね。

歩いて登って、有名なオランダ坂に到着。長崎の人々は出島に住むオランダ人の影響から、開国後も東洋人以外の外国人をオランダさんと呼んでいて、オランダさんが通る坂という意味で、居留地の石畳の坂をオランダ坂と呼んでいたそうです。

このオランダ坂、結構な急坂なので上るのが大変でしたが、オランダ坂途中には 1885年以降に建てられた外国人向けの住宅(東山手洋風住宅群)を見ることができます。

そんなオランダ坂付近で、G.F.フルベッキの写真を発見。フルベッキといえばオランダ出身のアメリカ移民で日本に宣教師として派遣された人物です。また明治維新前後に明治天皇やその他幕末に活躍した多くの志士との交流があったため、いまだに謎の多い人物でもあります。

その後、出島へ行きました。1641年から開国までの218年間、海外との貿易が許されていた場所です。これは出島の玄関である水門。2つの通り口のうち、輸入用と輸出用に分けて使われていたそうです。

歴史資料を基に江戸時代の出島を忠実に再現されていると言われる出島和蘭商館跡は、建物内が見どころ満載で興味深かったです。

興味深い展示がいくつかあり、特にこのオランダから来たと思われる植物に興味をひかれました。マリーゴールドやシロツメクサって、江戸時代に入ってきたものだったんですね。

スイセンやひまわりも。オランダを通じて日本に入ってきたものが意外に多そうな気がします。今でも様々な面で日本と結びつきが強い国ですが、歴史上縁あった訳です。

出島内には当時使用されていたと思われる道具が数々展示されていました。

出島の縮小模型もあり出島全体を把握するのに便利な展示でした。

現在でも長崎港は、海外からの大型クルーズ船が停泊し海外との窓口になっています。

長崎出島ワーフと呼ばれる飲食店が並んだ場所があるので、ここで食事を摂るのもいいかもしれません。

最後に、長崎歴史文化博物館へ。ここは所蔵品数が4万8千点もあるため、しっかり観ようとすると1日かかるかもしれません(笑) が、観る価値のある展示品が多くあります。私も時間をかけて観たかったのですが、時間の都合で足早の見学となってしまいました。

游学者とは故郷を離れて勉強する人を指します。現代のように交通の便も良くなかった時代にも関わらず、多くの人が遊学していたのです。

県別の游学者数番付なるものがあり、圧倒的に西日本に偏っていたことが分かります。

石見銀山の資料館でも見た『解体新書』がここにもありました。解体新書って当時印刷技術の乏しい時代にも関わらず、多く書き写されていたのですね。

上野彦馬という日本発の写真技術者が1862年に上野撮影局を開業し、そこで多くの人物を撮っています。

1870年の農民の集合写真です。服装は違えど現代の日本人とあまり変わらない姿に思わず安堵?ただ、この時代はカメラを見て撮るという形が定着していなかったのか、ほとんどの人がカメラ目線でなく横向き撮影となっているのも興味深いです。

ここで再びフルベッキ登場。済美館の生徒集合写真の中心に写っているのがフルベッキです。長崎英語伝習所で英語教師として幕府に雇われて以降、多くの明治政府関連人物と接触しています。

長崎には多くの観光地がありますが、実際行ってみると興味深い様々な発見があり、まだまだ知らないことが山ほどあるなと感じさせられました。次回行く機会があればじっくり時間をかけて、再び各観光地を廻ってみたいものです。