の続きです。
こうして見てくると、戦後世界において日本にあたえられた国際的地位というのは、本当にきびしいものだったことがわかります。
(中略)
現在日本で手に入るもっとも信頼できる国連憲章の解説書である『コマンテール国際連合憲章―国際連合憲章逐条解説』(東京書籍)(p236)
という、
フランスの大学教授を中心に「フランス語系の法律家」八〇数人を結集して書かれた(中略)
アメリカ主導の日米安保村からある意味、もっとも遠く離れた場所でつくられ(p237)
た国連憲章の解説書によると、
「ソ連をふくむ連合国は〔敵国条項〕第一〇七条にもとづく権利を、少なくとも西ドイツとの関係においては放棄したように思われる」(中略)
「東方政策〔西ドイツのおこなった、東ドイツを含めた東欧諸国との関係正常化を目的とした外交政策〕の諸条約は、一九七〇年代以降、西ドイツと東側の隣国との関係において、〔敵国条項〕第一〇七条を、そして第五三条をも無効にした」)(p237)
つまり、
一九七〇年代の東方外交の結果、ドイツに関しては、敵国条項は事実上、死文化しているということです。
ところがその一方、日本についての記述はどこにもないのです!
つまり、この本の著者や編者たちは、日本に対する敵国条項の効力は、依然として存続している可能性が高いということを言外に教えてくれているのです。(p237、238)
ドイツに対する敵国条項は無効化されているということは、
日本は世界でただ一国だけ、国連における「敵国」という国際法上最下層の地位にとどまっている(p242)
ことになります、、、
国連の予算(分担金)を1か国で10%以上を負担しているにもかかわらず、
国連憲章にある敵国条項がいまだ有効なため、国際的に最下層の地位に置かれているなんてショックです、、、
でもだからこそ、国内法を無視した違法な米軍駐留が続くのではないかと思います。
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治、2014)では、
ドイツが6人の首相によって49年かけて「独立」するまでの歴史が簡単に記されているのですが、
日本とは、第二次大戦後の歩み方がまるで違うことが分かります、、、
『国際連合憲章逐条解説』に「東方政策」という言葉で書かれていたように、ドイツは第二次大戦後、広大な領土をポーランドやフランスに割譲することを認め、国家としての「謝罪外交」も展開し、必死になって「過去の克服」をおこなうことで「新しいヨーロッパ」の中心国としての地位を固めていきました。(p238)
その結果、
一九九〇年に結んだ「2プラス4条約」にもとづき、米英仏ソの駐留軍はすべて一九九四年までにドイツから完全撤退していきました。現在ドイツに残っている米軍は、基本的にNATO軍としての制約のもとに駐留しており、そのドイツ国内での行動にはドイツの国内法が適用されています。(p241)
そうしたドイツと比べて日本では、
自民党の憲法改正草案や、再軍国主義化を思わせる与党政治家の発言、与党高齢政治家のナチス発言、
『はだしのゲン』排除などにもみられるように、
いまだに第二次大戦中の侵略行為について、周辺諸国への真摯な謝罪や、国家としての反省はなく、
再び軍国化しそうな気配があります。