海外文学に興味を持てないまま30数年の時が経過。
にもかかわらず、ロシア文学には読んでみたいと思うものがいくつかあり、その1つが1842年に出版されたゴーゴリの『死せる魂』でした。
ただ、登場人物のロシア人の名前が似たり寄ったりで(~ニコフ、~スキー、~ヴィッチが各3人以上登場)、
途中で誰が誰やらてんで分からなくなり、毎回読みだすと眠くなってしまう始末。
また、せっかちな私にとって各描写の長さは、推理小説や展開の早い小説と比べて退屈に感じてしまい、、、
2008年に購入してから(購入履歴より)15年ものあいだ放置していました、、、
その間、何度も引っ越しをしたのによく捨てなかったな~と我ながら感心。
ただ今月、まことしやかに時間的精神的に余裕ができたので、本腰入れて読み始めたところ、とうとう読了!
『死せる魂』は第一部と第二部から構成され、岩波文庫では第一部は(上)(中)、第二部は(下)に掲載。
ただ、第二部はゴーゴリが途中、精神危機に陥ったために原稿が大量紛失したとのことで、、、
今回読んだものは『死せる魂』の全貌ではないようです。
とはいえ、全体として独特の面白い表現に惹き付けられて、(上)(中)(下)を数日で読み終えてしまいました。
何と言うか、よくもそこまで人間に関する風刺的表現を思いつくな~、と笑ってしまう箇所があふれていました。
もちろん訳がとんでもなく素晴らしいのもあり、よくそんな日本語を持ってきたな~と思うところも多々あり。
まぁそれだけ、当時のロシア農奴制がひどいものだったのかもしれませんが。
ただ、主人公チチコフがロシアじゅうで初めて尊敬の念を感じた人物として描かれている、
コスタンジョーグロという有能な地主の言葉に、現代社会の有り様をちょっと考えさせられました。
それはさておき、小説のタイトルの『死せる魂』。
最初、これは主人公チチコフが買い求めた「死んだ農奴」のことを指しているのだと思っていましたが、、、
読み進めていくうちに、これは当時のロシア農奴制に存在した死んだような魂を持つ地主や役人、貴族連中たちを指しているのではないかと思うように。
というのも、ゴーゴリが尊敬し、ゴーゴリの才能を認め、『死せる魂』の題を与えた作家プーキシンが、
ゴーゴリがパリ&ローマ逃亡中に、37歳の若さで、ロシアの貴族達に間接的に殺されるような形になってしまったからです。
また、作中にロクでもない地主や役人、貴族達を非難する表現が数多くあったことからもそう感じました。
当時15年以上国外にいたゴーゴリだからこそ、客観的にロシアの実情を描けたのだろう…と想像。
とはいえ、当時帝政ロシアである自国の内情を、あそこまであからさまに描けた人間がいること、
そしてそんな小説が今でもきちんと残っていることに、社会としての成熟度を感じました。
ちなみに、ロシアとフランス・ドイツの関係が深いためか、ゴーゴリが実際に住んでいたからなのか分かりませんが、
フランス・ドイツを揶揄するようなそれでいて憧れるような記述が多く、興味深かったです。
ロシアに住んだこともなければ行ったこともありませんが、、、
主人公チチコフが出会う様々な地主と風景の描写を読みながら、当時のロシア農村社会を垣間見たような気になりました。
と同時に、どこの国の人間も同じような面を持っているんだなぁと納得するようなところもあり。
15年もかかりましたが、読んで良かったです。
各登場人物に関する表現を確認して笑いたいので、繰り返し読もうと思います。