明治時代から本格的に始まった男尊女卑社会

日本社会は昔から男尊女卑だったという風潮がありますが、実はそうではないようです。

韓国では女性を奴隷のように扱ってきたり、中国では纏足させられたり等の歴史がありますが、日本が男尊女卑社会として決定づけられたのは明治以降だと言われています。

江戸時代の日本人女性の姿

建前的には、江戸時代は家父長制が確立しており女性は社会的地位が低かった、と考えられていますが、実際には夫に離婚を突きつけて離婚を繰り返した女性や、夫に金銭を貸した女性もいたりして、意外にも女性に力があったことが分かっています。

しかも、離婚を繰り返しても社会的地位は下がらず、離婚歴は当時の女性にとって再婚の障害にはならなかったというのですから、昭和時代とは大違いです。

嫁ぎ先が嫌ならいつでも出られる権利が当時の女性にはあったわけです。

さらに、江戸時代までは男言葉と女言葉に差がなく、べらんめえ調で話す女性も多くいたとのこと。そして武家の女性であっても飲酒喫煙は自由であり、豪快に喫煙や飲酒をする女性も多かったようです。

  • 「喫煙がこれほど一般的なのはおそらく他の国にはないであろう。成人で、たえず煙草入れを身につけていない人は稀なのである。多くの妻君や娘も家の中でのみ喫煙する」(プロシャ人画家アルベルト・ベルク『オイレンブルク日本遠征記・上巻』)
  • 「日本女性は男たちと同様、大の喫煙家だ」(プロシャ人、ラインホルト・ヴェルナー『エルベ号艦長幕末記』)

と指摘しています。

また飲酒について、山川菊枝の祖母は、夫が一滴もたしなまなかったのに対し、

自分は「お酒のみに育ったので、毎日晩酌に一本ずつつけた」(山川菊枝『武家の女性』)

のだそうです。

そうした記述からは、建前上は男性に隷従する面がありながら、実際には意外に自由で自主的な姿が浮かび上がってきます。

階級によって女性の地位は異なっていた

「農民の婦人や、職人や小商人の妻たちは、この国の貴婦人たちより多くの自由と比較的高い地位をもっている。下層階級では妻は夫と労働を共にするのみならず、夫の相談にもあずかる。妻が夫より利口な場合には、一家の財布を握り、一家を牛耳るのは彼女である」(イギリス人のバジル・ホール・チェンバレン『日本事物誌・2』)

という記述からも分かるように、その自由度や社会的地位は階級によって異なっており、農民、職人、小商人の妻たちは、彼女たち自身が生活の糧の稼ぎ手として家族の収入に重要な役目を果たしていたために、家庭内での言い分も通り、敬意も払われていたようです。

そこからは、

「夫婦のうちで性格が強いものの方が、性別とは関係なく家を支配」(アメリカ人、アリス・ベーコン『Japanese Girls and Women』)

していた実態が浮かび上がってきます。

当時の女性がそうした地位を確立し得たのは、家族の重要な稼ぎ手であっただけでなく、オールコックが言うように男性よりも計算が得意であったという、当時における女性の労働の重要性にあったといえる気がします。

それゆえ、もしかすると現代日本人女性より、当時の農民、職人、小商人の妻たちのほうが家庭内の地位は高かったのかもしれません。

欧米諸国よりも低く、アジア諸国の中では高かった女性の地位

とはいえ、男尊女卑社会は確かに存在しており、

  • 「わが国では非常に一般的である婦人に対する謙譲と礼譲とが、ここでは目立って欠けている」(アメリカ人、エドワード・S・モースは『その日・2』)
  • 日本人女性の地位は「日本の社会秩序の中でもっとも悲惨な部分」(フランス海軍士官として横浜、兵庫、大阪を訪れたデンマーク人、エドゥアルド・スエンソン『江戸幕末滞在記』)
  • 「夫婦間の関係で妻が極めて低い地位に置かれているのは嘆かわしい」(アルミニヨンも『イタリア使節の幕末見聞記』)
  • 「日本の女性は一生の間、だいたい赤児の如くに取扱われているといったほうがよい」(イギリス人のバジル・ホール・チェンバレン『日本事物誌・2』)

という記述からも、欧米諸国における女性の地位と比べて、日本人女性の地位が低かったことが分かります。女人禁制の場所も多かったようですからね。

ただ、訪日する前に日本以外のアジア諸国を見ていた欧米人からすると、

「アジア的生活の研究者は、日本に来ると、他の国に比べて日本の女性の地位に大いに満足する。ここでは女性が、東洋の他の国で観察される地位よりもずっと尊敬と思いやりで遇せられているのがわかる。日本の女性はより大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信を持っている」(アメリカ人化学教師、グリフィス『明治日本体験記』)

という記述の通り、東洋の中で見れば女性の地位が高かったことが分かります。

家族内で重要な稼ぎ手だった女性は地位が高かった

オランダ人のカッテンディーケも『長崎海軍伝習所の日々』で、

「日本では婦人は、他の東洋諸国と違って、一般に非常に丁寧に扱われ、女性の当然受くべき名誉を与えられている」

と述べていますし、『オイレンブルク日本遠征記・上巻』でプロシャ人画家のアルベルト・ベルクも、

「日本の婦人の高い地位を示すもっともよいものは、彼女たちのもつ闊達な自由であり、それによって働き、また男性の仕事にまで加わることができることだろう」「これは東洋のほかの国々ではないことである。彼女たちの振舞はしとやかで控え目であるが、同時に天真爛漫でとらわれることなく、この点は平等の権利のあるものにおいてのみ見出せるものであろう」

と述べています。

それゆえ、江戸時代における日本人女性の地位は欧米諸国の女性よりは低かったものの、アジア諸国の中では高く、階級によっては(農民、職人、小商人の妻たち)高い地位を得ていたと考えられます。

塗り替えられた歴史

が、なぜそうした歴史が公にならず、日本はもともと男尊女卑社会だった的風潮が現代にあるのかは分かりません。

明治時代以降に、明治政府が都合よく歴史を書き換えたためなのか、明治時代以降に男性に都合のよい社会をつくるために教育上刷り込みが行われたためなのか、それ以外なのか…

ただ、明治以降に福沢諭吉が子女を海外へ売り飛ばしたり、1898年に制定された民法の家制度により生まれた男尊女卑概念など、女性が明治時代以降に江戸時代とは異なる扱いを受けるようになったことは確かです。

日本列島は数千年以上も前から、卑弥呼や推古天皇、紫式部、枕草子、北条正子など女性が国や文化を背負ってきた歴史があります

また、職能民や女性僧侶などが一般的であった時代もあったり、女性の識字率が数百年前から高かったりしたことからも分かるように、男女平等が叫ばれる数百年前すでに日本列島では女性の地位が確立されていた可能性が高いのです。

それゆえ、日本社会が男尊女卑的性質を強めたのは、明治時代以降だと認識しています。

女性に対する謙譲と礼譲が欠けた日本社会

明治時代以降、女性は社会的に低い地位に置かれてきましたが、前述したように階級的には江戸時代とそこまで地位が変わらなかった層もあったようです。

が、大多数の女性は、生活の糧の稼ぎ手として家族の収入に重要な役目を果たせなくなったことで、江戸時代において発揮された天真爛漫で闊達な自由を奪われてしまい、同時に家の中における地位も低下せざるを得なくなったのだろうと想像します。

欧米女性とは違って女性に対する謙譲と礼譲が欠けた日本社会では、男性と同じように働いてこそ社会的地位を認められる風土が少なからずあったからだと思います。

結果、女性が男性と同じように働ける土壌を、明治時代以降失ってしまった日本人女性は、自動的に社会的地位が低下せざるを得なかったというわけです。

国際的に見ると現代日本人女性の社会的地位は、発展途上国よりも低い世界最低レベルであり、それは現代日本社会の中心が年配男性であることからも明らかです。

そんな社会では女性の地位向上以前に、社会全体の成長が著しく不足していると思いますし、社会システム自体にも問題があると感じられます。

女性の地位向上のためには

江戸時代の日本人女性の中には、男性のように権力をもつ人も存在し、現代日本人女性よりも社会的地位が高いケースも見受けられました。

それを確立し得たのは、女性が男性と同等に働いてこそ社会的地位を認められる風土の中で、女性が家族の中で重要な稼ぎを生み出していたからに他なりません。

それゆえ、現代日本人女性が現日本社会で地位を爆上げするためには、男性以上に稼ぎまくるほか無いのかもしれません…

そうした女性が社会に大量に出現して、女性が男性と同等に稼げる制度・職種が確立されれば、少しずつ女性の地位も向上していく気がしています。

ただ、仮に日本で稼ぎまくれたとしてもそれが少数派である限り、男性優位の閉鎖的村社会の日本では、よほど大きな後ろ盾がない限り、潰されるか叩かれる可能性が高いようにも思えます…

そのため例え稼ぎまくれたとしても、当分は海外でやっていたほうがいいのかもなと思ってしまう部分もあります。