結婚して以降、数年おきに老後を先取りしたような生活をしています。
一昨年までは奨学金の返済に追われながらの生活でしたが、それでも家族や友人と過ごす時間を優先してきました。
料理やお菓子をつくって一緒に味わったり、旅行したり、散歩したり、食事したり、おしゃべりしたり。
あとは自宅や図書館で好きな本を読んだり、1人旅したり、手芸したり、野菜を育てたり。
臓器を含めた体が動くうちに、行きたい場所へ行き、食べたいものを食べ、やりたいことをやりたかったからですが…
先日上記ポストで、歳をとると視力も低下することに気づき、読書や手芸を好きなだけ行えるのも限られた時間なんだなぁ…と考えさせられました。
やりたいことはいろいろありますが、優先順位をつけつつ、財力と相談しつつ、社会情勢を見つつ、中庸でやっていこうと思います。
そういえば最近読んだ『忘れられた日本人』(宮本常一、1984)で、集落や家にもよりますが、
明治初期までの西日本集落が、どれだけ経済的貧困にあったかを思い知らされました。
上記で、北日本農山村の経済的貧困は読んでいましたが、西日本でも山奥は特に貧しかったようです。
それでも集落内が等しく貧しく、他地域との交流が少ない場合は揉め事も少なく平和だったようです。
が、道路がつくられて車やトラックが通るようになるまでは、人力や荷車、馬での物流。
各家は、今ある田畑でいかに食べものをつくり、子どもを育てていくかに注力した生活でした。
経済的貧困、飢饉、自然災害、インフラ未整備、劣悪な衛生環境、情報過少の当時は、
よほど裕福な家以外、体が強くてよく働く人だけしか生き残れなかったような印象。
特に貧しい地域では、朝から夜遅くまで(暗くなっても!)働き続けていた人が多かったようです。
後家が多い地域もあったというので、男性の過労死も多かったのかもしれません。
反面、山奥の集落では盗人が多かったという記述もあり…江戸時代でも治安の良くない所はあったようです。
江戸時代は村に所属して村の掟を守って生きていくのが一般的だったようですが、
村に所属したくない人は、そうした職業に就いて自由に暮らしたり(社会的地位は低くなるが)、
感染症で村に所属できなかった人々は、専用の道を歩いて旅しながら暮らしていたそう。
意外だったのは、結婚前の若い女性が数人で旅するのが一般的だったこと(視野を広げるためだとか)。
あと、娯楽が少なかった当時は子どもをつくる行為が娯楽になっていて(他には歌ったり踊ったり)、
平安時代のような性的奔放さも存在していた様子(地域差や個人差はあったみたい)。
明治時代の訪日外国人が「日本人は身分関係なく淫ら」と指摘していましたが…
現代日本が性犯罪・性的虐待に対して非常にゆるい認識であることとも、繋がっている気がしました。
ただ、文中の「女は損」という言葉で、生きていくのに大変な女性が多かったことを考えさせられ…
「人間も生れ在所によっては苦労せにゃァならんもんじゃ」(p111)
という文章に、今も昔も同じだなぁ…と辛くなりました。
今、本を読む時間があり、本を読める環境にあり、本を手に入れられることがいかに恵まれているかを痛感。
買えるうちに読みたい本を買い、目が見えやすく疲れにくいうちに読みたい本を読もうと思います。