江戸時代の大人は陽気で機嫌が良く、天真爛漫で無邪気だった

以前にも紹介したことがある、『逝きし世の面影』。

この本は、江戸時代~明治時代初期に日本列島を訪れた外国人の文献内容がまとめられたもので、当時の庶民とその暮らしぶりが分かる名著です。

そんな本から今回ご紹介するのは、江戸時代の大人について。

本によると、江戸時代の庶民階級の大人は、物語を聞いたり歌を唄うのを聞いたりするのが大好きで、

子どもと一緒に無邪気に笑ったり、凧揚げや羽根つき、こまを廻したりして遊んでいたそうです。

それは現代とは違って、江戸時代は、大人が陽気・天真爛漫・上機嫌・無邪気に暮らせるほど、

精神的余裕をもてた時代であったことを表しているのではないかと想像。

少なくとも、現代のように殺伐とした空気はなかったのではないかと思います。

それを表す、外国人から見た当時の日本人についての記述を、いくつか抜粋したいと思います。

  • 「幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」(イギリス人、ラザフォード・オールコック『大君の都・下巻』)
  • 「人びとは幸福で満足そう」(下田を訪れたアメリカ人、マシュー・ペリー『日本遠征日記』)
  • 「健康と満足は男女と子どもの顔に書いてある」(函館を訪れたイギリス人、ヘンリー・アーサー・ティリー『Japan, The Amoor, and The Pacific』)
  • 「日本人は毎日の生活が時の流れにのってなめらかにながれていくように何とか工夫しているし、現在の官能的な楽しみと煩いのない気楽さの潮に押し流されてゆくことに満足している」(香港主教イギリス人、ジョージ・スミス『Ten Weeks in Japan』)
  • 「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」(プロシャのオイレンブルク使節団『オイレンブルク日本遠征記・上巻』)
  • 「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌の良さがありありと表れていて、その場の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている。」(伊香保温泉の湯治客を見たイギリス人、ヘンリー・S・パーマー『タイムズ』)
  • 「この二世紀半の間、この国の主な仕事は遊びだったといってよい」(アメリカ人、ウィリアム・グリフィス『明治日本体験記』)
  • 人々の表情が「みな落着いた満足」(東北地方を訪れたイギリス人探検家、イザベラ・バード『Unbeaten Tracks in Japan,2 vols, New York, 1880,vol.1』)
  • 「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である」(フランス人、L・ド・ボーヴォワル『ジャポン一八六七年』)
  • 「日本人ほど愉快になり易い人種は殆どあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子供のように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである」(プロシャ人、ルドルフ・リンダウ『スイス領事の見た幕末日本』)

これらの記述から見ると、江戸時代の日本人は笑っている人が多い社会だった、と捉えることができます。

当時日本列島を訪れた外国人の大半が、観光客としてではなく課題解決のために訪れた知識層であったことから、色眼鏡で見た面は少なく信頼できる記述内容であると思います。

ただ、訪れた外国人は欧米人ばかりなので、工業化した自国や他のアジア諸国との比較で判断した面も多く、指摘には多少偏りがあるかもしれません。

それでも現代人が、当時の日本人とは異なる様子であるのを見ると、開国して工業化・軍国化し始めて以降、少しずつ変わっていったのではないかと想像。

工業面(軍事面)で欧米諸国と対等に渡り合おうとする明治政府の方針によって、庶民の大半は江戸時代には求められなかった技術を一気に習得し、労力として提供することを求められたようですから…

そうした方針を取らざるを得なかったのは、 地政学的に仕方なかったのか? 西洋文明を見てきた明治政府主要メンバーが薩摩・長州人ばかりだったからか?西洋諸国と裏取引をしたためなのか?それ以外の理由だったのかは不明です。

ただ、そんな強硬的ともいえる急速な社会変化によって、陽気で天真爛漫で無邪気なままでは生きていけなくなった大半の庶民は、

幼少期から精神的抑圧を受けることになり、性格も徐々に変わっていかざるを得なくなったのだろうと予想します。

 江戸時代庶民の暮らしは豊かだったが、明治以降徐々に貧しくなったでも書いたように、当時は増税によって経済的にも相当苦しくなっていたと思います。

ただ、もちろん開国・工業化によって生まれた良い面もあると思います。

特に強くそう思う点は、あらゆる分野で人の命を犠牲にしない機械を使った方法が増えていったことです(それでも、昭和後期までは一般的な機械設備は遅れていたので、建設工事や土地開拓中に数多くの人々が犠牲になっていたようですが…)。

また、機械設備が増えたことによって生活環境も改善され、家の中に雪が積もったりつららができたりする極寒生活からも解放されたのではないかと思います。

さらに西洋医療が入ってきたことで、それまで不明だった医療法も知られるようになり、江戸時代に流行っていた数多くの皮膚病、眼病、性病が大幅に減っていきました。

おそらくここでは書ききれないほど、開国・工業化にはプラス面があると思います。

個人的には等しく貧しいことが幸福ではないと思うので、そうした面は良かったと思っています。

ただ前述したように、明治政府は軍事的な成長・発展を優先したため、庶民が被った精神的・経済的・肉体的負担は莫大だったといえるはずです。

結局のところ、江戸時代の大人が陽気で機嫌が良く天真爛漫で無邪気だったのは、

  • ほぼ単一民族による生活環境だったこと(琉球民族、アイヌ民族の人々は犠牲になっていたかもしれないが…)
  • 海に囲まれて多民族から侵略されにくかったこと
  • 経済的に皆が平等に貧しかったこと(藩によって多少差はあったと思われる)
  • 最低限度の生活は保障されていたこと
  • 農業が庶民の生業としてそこそこ機能していたこと
  • 移動手段が限られていたために他集落の情報が入りにくく、 妬みや嫉みなどの感情が生まれにくかったこと
  • 港が4つしかなかったため他国の情報が入りにくく、知識を得る手段も少なかったため価値観が多様化しにくかったこと
  • 緊張感を持って生活する必要がないほど、治安が良かったこと
  • 国政や行政のことを考えるような風土がなかったこと
  • 幼少期、愛情をたっぷりもらえる家庭環境で育つ人が多かったこと

などの要因があったからだと思います。

これらの要因によって、平和な生活が維持されていたために、大人も天真爛漫・陽気に過ごせていた可能性が高そうです。

でも書いたように、もしかすると頭がお花畑状態だったのかもしれませんが…

狡猾的・打算的とは程遠い、素朴で純粋な人々だったのかなと思っています。