江戸時代に飢饉があったことはよく知られていますが、明治時代に飢饉が頻発していたことはあまり知られていません。
実は、明治時代にも特に東北地方を中心に、6度も飢饉が起きています。
こうした飢饉が起きる原因となったものは、一体何だったのでしょう?
東北地方では厳しい冷害などの自然環境、そして中央権力からの重税があったことが大規模飢饉が発生した原因だと言われています。
近代史家の色川大吉氏も指摘していますが、東北地方は明治政府における地元民を酷使した非人道的な道路開発が行われたにも関わらず、たいした産業が発達しませんでした。
岩手県出身の原敬が東北開発のための機関をつくりましたが上手くいかず、大久保利通が宮城県に港を開いて工業振興地として近代化を推進しようとしましたが、亡くなった後失敗に終わっています。
明治政府のメンバーに長州藩や薩摩藩ばかりだったことも影響していると思いますが、東北地方に対して明治政府がまともな投資をしてこなかった歴史も関係しているようです。
そのため、東北に暮らす農民は主要産業が第一次産業のままとなり、貧しい農民の多くが地租改正による重税が払えず、兵士となり戦争の犠牲者となった事実があるようです。
八甲田山での惨劇や北海道開拓で犠牲になった人々には、貧しい東北の農民がほとんどだったといわれています(北陸や山陰の人々もいましたが)。
つまり、明治時代に起きた飢饉の主原因は、明治政府が国民の多く(農民)に重税を強制し、
さらにその税金のほとんどを軍艦や武器購入など軍事力に使ったためだといえるのです。
その税金をきちんと庶民に還元していれば、むしろ重税せず減税していれば、あんな酷い飢饉にはならなかったのでは…と思わずにはいられません。
減税せず、税金を庶民に還元しなかった結果、飢饉だけでなく、兵士や奉公、過酷な出稼ぎ、人身売買、未開拓地への移住などを余儀なくされた人々を、数多く出すことになったわけですから…
当時、東北地方の至る所で一揆が起きており、特に南部藩では日本最大の一揆が起きたといわれています。
それは、東北地方全体に今なお神事や民謡が数多く残っていることからも分かるように、いかに苦しい時代を生き、歴史を刻んできたのかを表すものだと思います。
現在の学校教育では江戸時代の飢饉だけが強調され、明治時代の飢饉についてはほとんど触れられません。
それは、現政府にとって都合が悪いからでは…
税金(特別会計)に使途不明金が多い中で、国民に増税を強いる現政府には、明治時代と同じ臭いを感じます。