三島スカイウォーク休憩所~三島駅の9.1kmを歩いた①【東海道を歩く】

前回元箱根~三島スカイウォーク休憩所の10.5kmを歩いた②【東海道を歩く】で三島スカイウォーク休憩所までを歩いたので、今回はそこから三島駅までを歩きました。今回は距離が短いということで、小田原駅出発も10時過ぎと遅め。ですが紅葉シーズンで天候に恵まれていたこともあり、平日にもかかわらずバスは混んでいました(小田原駅~芦ノ湖)。

ちなみに、今回小田原駅から三島スカイウォークへは、小田原駅東口バス乗り場3番から「箱根町港」行きバスに乗車して、「元箱根港」で降車(箱根登山バス・1180円)。そこで三島駅行きバスに乗り換えて、「三島スカイウォーク」で降車しました(東海バス・650円)。

時間帯によって最短・最安・乗り換えルートは異なるので、NAVITIMEなどで事前にバスを調べて行ったほうが確実だと思います。箱根付近では箱根登山バス・伊豆箱根バス・東海バスという会社が異なるバスが入り混じり、行先が同じでもルートが違う似たようなバスが次々に来て複雑だからです。

しかも東海バスは現金支払いのみでICカードが使えないので、事前に千円札を用意しておく必要がありますし、箱根観光には箱根フリーパスが便利とはいえ、伊豆箱根バスには使えなかったり東海バスでも一部区間しか使えなかったりと、イマイチ分かりにくいシステムなので事前リサーチが必須です(色々事情があるのでしょうが、分かりにくいです)。

そんな箱根路ですがこれまで歩いてきた東海道をバスであっという間に通りすぎ、12時前に三島スカイウォークへ到着。スカイウォークとは「箱根西麓・三島大吊橋」のことで、日本最長400mの人道吊橋です。

橋の手前にあるスカイウォーク休憩所には、小規模な道の駅という感じでお手洗いのほかに、お土産屋、喫茶店、カレーとパンケーキが食べられるお店、農産物市場がありました(コンビニはありません)。

お手洗いを済ませた後、夫が「ここに来る機会もそうないから」と三島スカイウォーク歩きを提案してきたので同意。価格は1000円(中高生500円、小学生200円)で、パンフレットと一緒に、切手を貼って使用すれば有効となる?お年玉付年賀はがきを1人3枚もくれました。

風がないにもかかわらず橋の上はかなり寒かったので、風が吹いていたら極寒そう…しかも結構揺れます。足元の編み目からは真下も見えるので、怖いか怖くないかと言われたら怖いです。

しかしながら、今の時期はちょうど紅葉シーズンだったので、橋上からの景色は素晴らしいものでした。天候が良ければ富士山も見えたんでしょうが今日は残念。ちなみに、橋を渡り切った先にホットドッグやサンドウィッチなどの軽食屋がありましたが、どれも観光地価格でした。

そんなスカイウォークを堪能したところで、ようやく三島駅へ向けて出発!草ボーボーですがガードレール付の歩道があり、安全に東海道1号線を歩いていけます。ヤッホー

少し歩くと箱根旧街道への案内が。箱根峠で見られたような歩きにくい道ではなさそうなので、ショートカットできる期待も込めて箱根旧街道を選択。

箱根旧街道に入るとすぐに「こわめし坂」への案内。この左側に見える下長坂の別名を「こわめし坂」というそうです。

その理由は、あまりの急こう配で人々が背負った米が、汗や蒸気で蒸されてついには強飯のようになってしまうからだそう。確かにものすごく急な坂です…しかも長い!

整備されているから歩けるものの、落ち葉が散乱していたり雨や雪で濡れていたりしたら簡単に滑って転がって行ってしまいそう…アーレー

しかも足腰にきそうです…ただ実際の距離よりも進みが速いので、その点ではラクかも。とはいえ、西から東へ向かう逆ルートだと相当しんどい上り坂でしょうね…

そんな坂を下りきったら旧東海道を歩いていきます。

もう遊歩道へは行きません。歩きやすいであろう道をひたすら歩いて行きます。

住宅が立ち並ぶ道。こんな狭い道でも歩道があるのが有難い。

歩いていると右手に、1644年に創建された松雲寺というお寺。1763年には朝鮮使節の江戸参府、1863年には徳川家茂の上洛など、通行する大名の休憩施設「寺本陣」としても利用されました。境内には明治天皇御腰掛石があり、明治元年に明治天皇がここを訪れた際に腰掛けた石があります。

引き続き、民家の間を通っていくので側溝が歩道代わり。それでもきちんと車道と区切られていて助かります。

ちょっと気になった「出征馬記念碑」。帰宅後調べてみると、当時農村の運搬や農耕に欠くことのできない馬たちが戦争へ行ったため建てられた石碑とのこと。家族同然に大切に扱われていた馬も戦争の犠牲になっていたんですね…三島地区からも多くの若者が日清~太平洋戦争時に徴兵されたそうで、戦争の爪痕が至る所に残っているみたいです。

三島市坂公民館や幼稚園、小学校を抜けると、1683年に建てられた法善寺がありました。

六地蔵というお地蔵さん。この地域ではお地蔵様が、村人に代わって毎夜火事が起きないよう見回りをしてくれたためほとんど火事が起きなかった、と言い伝えられています。

この先は「臼転坂」(うすころげざか)という坂で、牛が転がったとか臼を転がしたとかでその名が付いたんだそう。とはいえ遊歩道へは行かず、相変わらず旧街道を歩いていきます。

そうこうするうちに三島市内が近づいてきました。この先で国道1号線とも合流するようです。

箱根路の終わりを告げるような、大木と巨石。

ここまでが箱根路なんですね。箱根八里というだけあって、箱根湯本からここまでは過酷な道のりでした…でも逆はもっとしんどそう…江戸時代の人々は本当にすごいです。今でこそスマホがありますが当時は方位磁石くらいしかない訳で、しかも今より治安も悪そうだし軽装だろうし、十分な気力・体力がないと乗り越えられない過酷な道のりだと思いました…

今回も長くなってしまったので、続きは三島スカイウォーク休憩所~三島駅の9.1kmを歩いた②【東海道を歩く】にて。