ぺんぎんメモ

江戸時代の日本人に性的羞恥心はなかった

time 2019/03/19

現代では想像できませんが、江戸時代には都会の真ん中や田舎の村々で、日常的に女性の裸を目にすることが多く、また公衆浴場では混浴が当たり前でした。

それは蒸し暑い気候と、十分な衣類を持てない・複数の浴場施設を持てない等の経済的事情も影響していたと思いますが、どうやら当時の日本人には性的羞恥心というものが欠如していたからのようです。

ただそうした慣習は、幕末に来日した外国人たちを仰天させ、日本人の道徳的資質を疑わせる存在にまでなっていたことも事実です。以下、『逝きし世の面影』から抜粋したいと思います。

ペリー艦隊に随行していたドイツ人画家ヴィルヘルム・ハイネは、

「浴場それ自体が共同利用で、そこでは老若男女、子供を問わず混じり合って、ごそごそとうごめき合っているのである。また外人が入って来ても、この裸ん坊は一向に驚かないし、せいぜい冗談混じりに大声をあげるくらいだった」(『世界周航日本への旅』)

と述べており、1855年下田に滞在したドイツ人商人のF・A・リュードルフも、

「日本のように男女両性が、これほど卑猥な方法で一緒に生活する国は、世界中どこにもない」(『グレタ号日本通商記』)

といって驚いています。また、秋田県横手を旅していたイギリス人探検家イザベラ・バードは、

「私が二本の足で歩いていると、人びとは私を見ようとして風呂からとび出して来た。男も女もひとしく、一糸もからだにまとっていなかった」(『Unbeaten Tracks in Japan,2 vols, New York, 1880,vol.1』)

と述べていますが、これは当時日本にいた外国人の大半が経験していたようで、その記述が残っています。江戸時代後期に下田近郊の柿崎を訪れたアメリカ人タウンゼント・ハリスは、日本人がとるこれらの行動について、

「私は何事にも間違いのない国民が、どうしてこのように品の悪いことをするのか、判断に苦しんでいる」(『日本滞在記・中巻』)

と述べています。教育があり上品でもある日本人に、どうして羞恥心の欠如がみられるのかを疑問に思った外国人は当時数多くいました。

ただキリスト教的思想や近代的思想を誇りに思っていた、ペリー艦隊同行のアメリカ人通訳ウィリアムズは、

「婦人たちは胸を隠そうとはしないし、歩くたびに大腿まで覗かせる。男は男で、前をほんの半端なぼろで隠しただけで出歩き、その着装具合を別に気にもとめていない。裸体の姿は男女共に街頭に見られ、世間体なぞはおかまいなしに、等しく混浴の銭湯へ通っている。みだらな身ぶりとか、春画とか、猥談などは、庶民の下劣な行為や想念の表現としてここでは日常茶飯事であり、胸を悪くさせるほど度を過している」(『ペリー日本遠征随行記』)

と軽蔑的な目を向けており、香港主教イギリス人ジョージ・スミスも、

「老いも若きも男も女も、慎しみとか、道徳的に許されぬことだというはっきりした分別をそなえている様子をまるで示さず、恥もなくいっしょに混じりあって入浴している」(『徳川時代の年貢』)

と嫌悪感を示し、両者ともに「日本人は世界で最もみだらな人種」と指摘しています。

ただ、実際には外国人が想像するような淫らなことは起こっておらず、1856年に箱館の浴場を尋ねた英艦バラクータの将校トロンソンは、

「人為的な習慣をもつわれわれは日本人の原始的な素朴さに仰天し、こんなにからだをさらけ出して、若い男女に道徳上の悪い影響がないのかと思ってしまう」(『Personal Narrative of A Voyage to Japan,  Kamtchatka,  Siberia, Tartary and Various Parts of Chin, in H. M. S. Barracouta』)

と疑問に思いながらも、男女や子どもが一緒にかがみこんで湯を惜しみなく使う混浴へ入ってみました。が、自分たちの存在を誰も気にする様子はなく、日本人には混浴が恥ずかしいという意識自体が存在しないことや、むしろ当時の日本社会ではそれが日常であり、道徳上の善し悪しを判断する類のものではないことを気付かされたような所があります。

著者も指摘しているように、

徳川期の文化は女のからだの魅力を抑圧することはせず、むしろそれを開放した。だからそれは、性的表象としてはかえって威力を失った。混浴と人前での裸体という習俗は、当時の日本人の淫猥さを示す徴しではなく、徳川期の社会がいかに開放的であり親和的であったかということの徴しとして読まれねばならない(『逝きし世の面影』)

というわけです。そのせいか江戸時代~明治時代初期の日本社会には、性を笑いの対象として捉える文化まであったようです(ここでは記述を控えますが)。

とはいえ、セクシュアルな実態が全くなかったわけではないようで、

「江都の町中にある湯屋、予が若造迄は、たまたまは男湯女湯と分りてもありたるが、多くは入込とて男女群浴することなり。因て聞き及ぶに、暗処、又夜中などはほしいままに姦淫のことありしとぞ」(松浦静山『甲子夜話・2』)

とのこと。江戸時代後半に男湯女湯を区別する仕切りができた後も、上は羽目板でも下は格子だったので、根岸鎮衛の知り合いの若者には、

「女湯へ入りし女子、隣より見えん事は知らず、陰門をかの格子の方へむけて微細に洗濯するをふと見つけて、壮年の勢い男根突起してなかなか忍びがたく」(根岸鎮衛『耳袋・1』)

ついに風呂へとびこみ、湯当たりして気絶しそうになった者もいたそうです。江戸時代の日本が性に開放された社会であったがゆえに、そうしたことも時には起こっていたのかもしれません。

江戸時代には春画や春本が横行しており、

「絵画、彫刻で示される猥藝な品物が、玩具としてどこの店にも堂々とかざられている。これらの品物を父は娘に、母は息子に、そして兄は妹に買ってゆく。十歳の子どもでもすでに、ヨーロッパでは老貴婦人がほとんど知らないような性愛のすべての秘密となじみになっている」(『エルベ号艦長幕末記』)

と、その光景を目にしたドイツ人のラインホルト・ヴェルナーは驚嘆しています。

また、『日本中国旅行記』を書いたドイツ人のハインリッヒ・シュリーマンも、『Japan, The Amoor, and The Pacific』を書いたイギリス人のヘンリー・アーサー・ティリーも、『ペリー随伴記』(=『外国人の見た日本・第二巻』)を書いた広東省出身の中国人羅森も、街中で女性たちが当然のように春画や猥藝な絵本、版画を見ている様子に驚いています。

ただフランス人のエミール・ギメが、

「羞恥心は一つの悪習である、と。日本人はそれを持っていなかった。私たちがそれを彼らに与えるのだ」(『かながわ』)

と述べているように、「裸で生活すること、混浴すること、春画や春本を堂々と見ること=異様、不快、道徳的に恥ずかしい行為」という観念をもつ社会で生まれ育った人から見れば、江戸時代の日本人は淫らな人種と映るかもしれません。

が、そうした観念をもたず育った当時の日本人にしてみれば、日常的な「それらの行為の何が悪いのか、恥ずかしいのか」は理解できなくて当然だったと思います。来日した外国人からもたらされた観念を知って初めて、それらの行為が他国では羞恥心を覚える行為だという認識を得たはずです。

もしも当時の日本人が、欧米人がもつ道徳観や社会観念に追従せず、江戸時代以降も庶民の生活レベルが経済的に均一に近い状態であり、他者からの目を気にしない国民性であったなら、今でも暑い日は男女ともに裸で生活していたり、大浴場や銭湯は混浴が一般的だったりしていたかもしれません。

現代でも、春本や春画に近いものは堂々と残っていますから、経済中心主義に沿った慣習であれば、ある程度残るのかもしれません。

ちなみに当時の外国人でも、そうした慣習に慣れて女性の裸を見慣れてしまえば、徐々に何とも思わなくなったと述べています。ゆえに、そんな社会に馴染んでしまうと誰でもそうなってしまうのかもしれません。当時の日本人がそうであったように。

現代人からすると想像しがたい社会であり光景ではありますが、当時の日本人が性的羞恥心を持っていなかったことを考えると、江戸時代社会がいかに開放的であったかだけではなく、当時の日本人がいかに素朴で純粋な人々であったかを想像せずにはいられません。現代のように、閉鎖的だったりひねくれたりスレたりグレたりすることがほとんどない社会だったんでしょうね。

       



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奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、心理、(セミ)リタイア、移住など追求して自由に暮らしています。

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