箱根湯本~元箱根の11.3kmを歩いた③【東海道を歩く】

箱根湯本から元箱根までの11.3kmを歩いた②【東海道を歩く】の続きです。

須雲川自然探勝歩道および旧街道石畳を登り切ると、いつもの地図。地図によるとあと少しで甘酒茶屋に着くようです。とはいえ、元箱根まではまだ遠い…

つまり根気よく前進しなければならない!ということで、歩道のない732号線を歩き進めていきます。

相変わらずの上り坂なので前進は休み休みになりますが、時折見える山肌と青空が元気を与えてくれます。少し雲が出てきたみたいです。

そうして黙々と歩いていると、追込坂(おいこみざか)が。甘酒茶屋までのゆるい坂道の名とのこと。

この坂は、旧街道の道に続いています。

少し進むと小さな広場になっていて、そこには親鸞上人の遺跡碑がありました。

また、歌碑も。「病む子をば預けて帰る旅の空、心はここに残りこそすれ」。

親鸞上人は、東国(今の関東)の教化を終えて帰洛(京都へ向かう)途中、箱根旧街道の笈の平(おいのだいら)にて、付き添ってきた性信房(しょうしんぼう)と別れました。「性信房、私が京に帰った後、関東の地でお念仏の教えを伝えてください 」と。

性信房は京都まで同行することを懇願しますが、性信房に信頼を寄せていた親鸞上人は諭します。 そしてこの別れの地で、性信房に笈(荷物を入れる籠)を渡します。笈の中には上人著の「教行信証」が入っていたと伝えられています。

そうして古くは大平と呼ばれていたこの地を、笈の平(おいのだいら)と呼ぶようになりました。この歌碑は、そんな親鸞上人と性信房の別れを詠んだものでした。

そんな石碑を通り過ぎるとすぐにこんな建物が。ここは旧街道休憩所。これまでずっと上り坂でしたが、ここで平坦な道になりました。

箱根旧街道の面影を偲んで訪れる人々や、広く一般の方のための無料休憩所となっていて、茅葺屋根の内部は土間や囲炉裏(いろり)が設けられているとのこと。有難いことです。

重厚感あふれる内部。いかにも昭和、いや江戸という感じです。

隣接しているのは甘酒茶屋。周囲に観光バスが数台停まっていたのは、そのためだったんですね。当時と同様、ここで休憩する人が多い様子。私達はお昼に食べたおにぎりでお腹一杯だったので、チラ見しながら通過。

甘酒茶屋に関する説明書。

江戸時代、徳川幕府は人々や物資の往来が盛んになるように街道の整備を行いました。

東海道はその中でも主要な街道でしたが、この箱根地域は道が大変険しく、当時の旅人が普通1日十里(40km)旅するところ、箱根地域では八里(32km)しか歩けませんでした(32kmも歩ければ十分でしょ)。

そんな中、道中には甘酒をふるまう茶屋が設けられるようになり、1818~1829年には甘酒小屋との記録があり、箱根地域には9か所設けられていたようです。この地には計4軒あり、他に追込坂上、橿木坂上、猿滑坂下にもありました。

しかし、1880年国道1号線の開通などから街道を歩く人々が減少して、現在この地には1軒が建つのみだとのこと。

入口からも賑わっている様子が伺えました。事前にネットで見ていた、力餅やしそジュースを味わってみたかったですが、残念。

そんな甘酒茶屋を過ぎて少し歩くと、元箱根まで40分の看板。ただこれは旧街道を歩いた場合にかかる時間。732号線はこれより多くかかるでしょう。

やっぱりまだまだ上り…。側溝を歩道にして歩き続けます。相変わらず車は怖いですが、車だって歩行者が怖いでしょうね…すみませんね。

左手には、立派な杉並木が続きます。

徐々にではありますが、車の通りも多くなってきます。

またもや元箱根までのショートカットコース、石畳が出現。とはいえ、もう石畳はこりごりなので説明書だけ読むことに。

この地点から元箱根に至る約1kmの石畳は、1680年に敷かれた石畳を1862年に改修工事したものが残っている所らしい。江戸時代から現存している石畳が少々気になるところではあります。

が、入口付近をチラ見するだけに留めます。

先ほどは雲が見えていましたが、また晴れています。日なたは暑そう。

ようやく下り坂に突入。

旧街道へ続く道も。

少々下って平坦な道になったところで、右手には「お玉ヶ池」という池が。白鷺や鴨もいて静かな雰囲気ですが、この池にはその名にまつわる悲しいエピソードがありました。

当時箱根関所では「入り鉄砲に出女」といって、江戸から地方へ下る女の通行に目を光らせていました。人質として江戸に住まわせている外様大名子女の脱出を防ぐ必要があったからです。

そんな折、江戸から京都へ帰る際の箱根関所通行を極端に恐れた若い芸者に、お玉という女性がいました。彼女は奉公人であるため、大名の子女のように厳しい検問を受けることはありません。

が、関所の恐ろしさを事前に江戸で聞いていたために、関所に近付くにつれていよいよ恐ろしくなり、通行手形を渡そうと追いかけてきた旅籠の主人を役人と勘違いして逃げるうちに、いつのまにか関所裏道に入ってしまったのです。その結果、関所破りの罪で捕まって打ち首されてしまいました。

そんなお玉を憐れに思った人がお玉の首をこの池で洗ったことから、「お玉ヶ池」と呼ばれるようになったとのことです。

そんな悲しいエピソードのある池を通りすぎて、ゆるやかな下り坂を進んでいきます。

とうとう近づいてきました、元箱根。あの交差点より先は1号線です。

ゴールが見えると、心なしか足取りも気持ちもラクになります。

上り坂ウンザリの箱根湯本からの道のりでしたが、やっとちゃんとした?下り坂となってきました。

そしてついに右手に芦ノ湖!きっと当時の旅人も芦ノ湖が見えた時は、気分が高揚したでしょうね。

箱根神社も近いです。

芦ノ湖遊覧船のりば=元箱根港は目の前。

やっとのことで元箱根に到着。本当は箱根神社まで行きたかったのですが、夫があまりにもしんどそうなので今日はここまで。

そして、10分ほど待って「箱根神社入口」バス停から小田原駅行きのバスに乗り込んで帰りました。次回は、ここまでバスできて三島まで歩く予定です。

小田原駅までのバス本数はだいたい1時間に2~3本あるみたい。ただ箱根湯本駅止まりも多いので注意が必要です。

ただこのバス停から徒歩3分程の場所にある、「元箱根港」というバス停からは始発の急行バスが出ているようなので、小田原駅や箱根湯本駅へ向かう場合はそちらを利用するほうがよいのかもしれません。

ただ私達は「元箱根港」バス停留所が分からず乗り逃すのが怖くて、「箱根神社入口」バス停から乗って帰りました(小田原駅まで約1時間かかりました)。

次回は元箱根(「箱根神社入口」バス停)~三島を歩く予定ですが、元箱根から箱根峠を挟んで三島までは約17kmあります。そのため、スタート地点・元箱根へ行ける時間によっては、暗くなる前に三島に着けない可能性がありちょっと不安。

ただ、その区間を歩けば日本橋~興津までをコンプリートでき、東海道約500kmのうち約1/3を歩いたことになるので、気持ち的には強行したいところ。とりあえず、夫の体力と相談しながら今後のコース編成を組みたいと思います。長い中読んでいただき、ありがとうございました。