現代日本人が為政者(権力)に怒れない原因とは

最近、何度目かの『「普通がいい」という病』を読み終わって、気付いたことがありました。

本の内容を無意識に反芻していて気付いたのですが、ここ約100年間で日本人の大多数が権力者に対して怒れなくなったのは、

「心」由来の深い感情(深い感情で1番始めに出てくる「怒」)を抑えつけてしまったため、「頭」由来の浅い感情(=欲望)しか意識できなくなってしまったのが原因、ではないかということです。

本来であれば、いろいろな社会問題が噴出した際、他国のように大規模な社会構造批判や政府批判が起きるはずです。

が、日本ではそれがほとんど起きません。一部地域(沖縄など)では起きていますが、少数派なので報道されず目を付けられた挙句弾圧されて終わりです。

「心」由来の深い感情を意識しやすい人の場合、より大きな存在に対して怒りを覚えるので、身近な人間(自分より弱い者)への粘着的感情や絡みよりも、権力者などの社会的強者に対しての怒りが湧きます。

が、「頭」由来の浅い感情を意識しやすい人の場合、身近な人間(自分より弱い者)への粘着や執着が起こってしまいます。

そんな人が増えてしまうと、「頭」由来の浅い感情(「アイツ気に入らねえ」「あいつムカつく」「なんかイラつく」「アイツ目障り」など)が日常的に意識されるので、「欲望」のままに弱者を袋叩きにする構造がつくられてしまうのかも…

そんな社会では権力への批判や怒りは湧きにくくなりますから、現日本社会における既得権益者、もしくは何らかの理由で日本と日本人をマイナス方面へ追いやりたい組織とっては、願ってもない状態なのかも。

そう考えると、開国から第二次世界大戦後までの軍国化も、日本人に「心」由来の深い感情を起こさせず、「頭」由来の浅い感情=「欲望」を生ませるような状況へ追い込むための策略だったのか?と邪推してしまいます。

『「普通がいい」という病』でも書かれているように、「心」由来の深い感情を意識するためには、必ず始めに「怒り」が出ないと他の感情は出られません。

つまり、「怒り」が意識できないと他の深い感情も意識できないので、「怒り」を抑え込んでいる限り「心」由来の深い感情=愛などは意識できないのです。

そうなると、打算的な人間関係(仕事上だけの上辺の付き合い)しか築けなくなり、自分のことを利用したり搾取したりする人間しか引き寄せられなくなったり、本当に自分のことを大切にしてくれる人を遠ざけてしまったりする可能性があります。

「頭」由来の浅い感情(=欲望)ではなく、「心」由来の深い感情(=愛)によって子育てや教育がなされていた時代においては、庶民の大半が「心」由来の深い感情を意識でき、社会もそれベースに動いていたと思います。

が、経済中心の社会環境に大半の庶民が身を置くことになった結果、「心」由来の深い感情は抑え込まれ、「頭」由来の浅い感情しか意識できなくなってしまったのではないかと予想。

その結果、「愛」ではなく「欲望」による子育てや教育しか行えない人が増え、庶民の大半が「頭」由来の浅い感情しか意識できなくなってしまったのではないかと思います。

社会に、「頭」由来の浅い感情をもつ人の割合が増えると、「~してはいけない」とか「~すべき」ということばかりに意識が向くようになり、社会全体がどんどん細かい部分にしか注目できなくなってしまう気がします。魚の目状態です。

その結果、自分が縛られている分だけ他者への制約も厳しくなってしまい、息苦しい社会へと変わっていくように思います。

「頭」由来の浅い感情は、部分的な治安維持には貢献しているのかもしれませんが、度が過ぎると社会を生きづらくしてしまうような気がします。

「心」と「頭」のバランスをとるのは難しいですが、「心」由来の深い感情を意識できないと満足いく人生を送れないだけでなく、権力の暴走を許してしまうことにもなりかねません。

現在・未来と日本社会に生きる子どもたちが、希望を抱き楽しく生きられる社会にするためにも、「心」由来の深い感情を意識できるような社会環境へと変わって欲しいものです。

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