ぺんぎんメモ

江戸時代からあった日本人の宗教嫌いと迷信信仰

time 2019/04/18

江戸時代の日本人像(庶民層)が少しずつ見えてきたのですが、それでもまだまだ分からないことだらけ。何となく見えてきたのは、勤勉で清潔で陽気で機嫌良く天真爛漫で無邪気な反面、迷信信仰がありお祭り騒ぎが好きなうえ淫らで嘘つきな姿です。

もちろん、そういう傾向が庶民層に強いということなのですが、そんな日本人の姿には、現代人が生きやすくなるヒントがあると感じています。そこで今回も『逝きし世の面影』から、江戸時代日本人の宗教嫌いについてご紹介したいと思います。

現代でも日本人は他民族と比べて宗教心が薄いと言われていますが、それはどうやら江戸時代から続いている性質のようです。本書を読んでいて、あまりにも宗教に対してバッサリ切り捨てた認識をもつ日本人が多いので、何度も笑ってしまいましたが、その反面、迷信が浸透している様子には驚きました。

その様子は、江戸~明治時代初期に日本を訪れた欧米人の記述から、窺い知ることができます。まず、1859年に江戸を訪れたロシア人医師ヴィシェスラフツォフは、

「日本人はまるで気晴らしか何かするように祭日を大規模に祝うのであるが、宗教そのものにはいたって無関心で、宗教は民衆の精神的欲求を満足させるものとしては少しも作用していない。それに反して迷信は非常に広く普及していて、お守りとか何かの象徴を住居その他につけるのがごく普通になっている。病魔を遠ざけるために家の扉に蟹を釘で止めたりするかと思うと、好運の日、不運の日があって、船乗りは暦でどの方角を避けるべきか前もって調べた上でないと港を離れない。寺社には老女と子供しかおらず、老女が祈っている間、子供の方はお祈りや念仏が唱えられているというのに、大声をあげて遊び回っている」(『ロシア艦隊幕末来訪記』)

と述べています。

また寺詣りをするのは、あらゆる階級の女性と、男性では商人・農民・乞食、子どもに限られていたそうで、聖職者や宗教施設に対する敬意は建前的なものだったようです。その事実は早い段階から欧米人に認められていたようで、1859年に箱館の寺院を観察したイギリス人のヘンリー・アーサー・ティリーは、

「役人とか地位のある男性の姿はめったに見られず、貧乏人と女が唯一の参詣者であるように思われた」(『Japan, The Amoor, and The Pacific』)

と述べています。また1857年の下田も同様であったらしく、下田に滞在していたオランダ人のヒュースケンは、

「女が祈っているのはつねに見かけるが、男のそういう姿をめったに見かけないというのはじつに注目すべきことである」(『日本日記』)

と述べています。そしてプロシャ人画家のアルベルト・ベルクは、

「教養のある日本人は、本当は仏教とその僧侶を軽蔑している。……それは、下層階級と同じように僧侶のばかばかしいいかさま説法の対象となるのは、威信を下げると彼らが思っているからである」(『オイレンブルク日本遠征記・上巻』)

と述べています。さらに、江戸時代後期に下田近郊の柿崎を訪れたアメリカ人タウンゼント・ハリスも、1857年5月の日記に

「特別な宗教的参会を私はなにも見ない。僧侶や神宮、寺院、神社、像などのひじょうに多い国でありながら、日本ぐらい宗教上の問題に大いに無関心な国にいたことはないと、私は言わなければならない。この国の上層階級の者は、実際はみな無神論者であると私は信ずる」(『日本滞在記・中巻』)

と書いています。ヴィシェスラフツォフは役人に向かって、お寺へ行かない理由を尋ねたことがあったそうですが、役人は

「わしが寺へ行くようになったりしたら、坊主たちは何をすりゃいいんだね。わしらみんなのために祈るのが坊主たちの仕事だ」(『ロシア艦隊幕末来訪記』)

と答えたそうです。1890年代に日本に滞在したドイツ人宣教師ムンツィンガーも、武士階級を無神論者と断定し、反対に

「小市民、職人、農民、労働者、女性という大群は、今日に至るまでいつも宗教的であった」(『ドイツ人宣教師の見た明治社会』)

と述べています。迷信信仰も宗教的と言われればそうかもしれませんが、欧米人の目には、庶民層にはそうした目に見えない存在を信じる傾向があり、武士や知識人などの上層階級にはそうした傾向がないと映っていたようです。

武士階級が信仰に無関心でとくに僧侶を軽蔑するというのは、すでに1810年代にゴローヴニンが認めた事実だった(『逝きし世の面影』p527)

という記述からも、そうした様子がうかがえます。

1871年に来日し池上本門寺を訪れたヒューブナーは、その建築の優美に感動したのもつかの間、付き添いの政府役人は煙草を口にしたまま境内にずかずか入りこみ、大声で僧侶や仏をからかっていたのを目にし、

「宗教心は消え失せかけている。朝晩、日の出と日の入りに家を出て太陽に平伏するのは、もう老婆しかいないのだ。……宗教行事や迷信は腐るほどあるのだが、上流階級や知識人階級では、信仰心も宗教心もまったく欠如している。……私はこの国の有力者たちに信仰を持っているかどうか幾度も尋ねてみた。するといつも判で押したように、彼らは笑いながら、そんなことは馬鹿らしいと答えるのだ」(『オーストリア外交官の明治維新』)

と述べています。

イギリス人探検家のイザベラバードは、1878年の東北地方縦断時に久保田(現秋田県)の師範学校を見学しましたが、その際、校長と教頭に対して生徒たちが宗教について教えられているかどうか尋ねたところ、二人はあからさまな軽蔑を示して笑い、教頭が「我々に宗教はありません。教養のある方々は宗教がいつわりだとご存知のはずです」と答えたといいます。

そんな日本人を見て、プロシャ人のルドルフ・リンダウは『スイス領事の見た幕末日本』で、

「宗教に関しては、日本人は私の出会った中で最も無関心な民族である」

と述べ、日本には数多くの寺社があるにもかかわらず、僧侶はいかなる尊敬も受けていないこと、彼らは愚かな怠けもので教義について何も知らないこと、仏教と神道の区別もはっきりしないことを指摘しています。さらに、民衆は

「宗派の区別なく、通りすがりに入った寺院のどこでも祈りを捧げる」

と述べ、民衆は信仰心からそうするのではなく、神聖とされる場所への礼儀としてそうしている、という見解を示しています。

まさにその通りで、現代でも、宗派などを気にして祈りを捧げている人は少なく、宗教に関しては無関心な民族だと思います。ただ「八百万の神」的な迷信信仰は、少なからず持っている人が多いのではないでしょうか?

フランス海軍士官として横浜、兵庫、大阪を訪れたデンマーク人、エドゥアルド・スエンソンも『江戸幕末滞在記』にて、

「聖職者には表面的な敬意を示すものの、日本人の宗教心は非常に生ぬるい。開けた日本人に何を信じているのかたずねても、説明を得るのはまず不可能だった。私のそのような質問にはたいてい、質問をそらすような答か、わけのわからない答しか返ってこなかった。時に立ち入って聞き出すと、そのうちの何人かは、戯言の寄せ集めが彼らの宗教、僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから行くだけのところ、などと語ってくれた。……社会の上層部、特に知識人の間には、神道にも仏教にも与しない開けた日本人が数多く見出せる。彼らは外見的な神仏信仰を斥け、孔子の教えの規範に多少の修正を加えたものに従っている。……その信奉者はふつう、無神論者とみなされている。

と述べて、日本社会の上層部や知識人は、僧侶や寺社に対する敬意を建前では示すものの、本音の部分では軽蔑していると指摘しています。

イギリス人のラザフォード・オールコックも、

「宗教はどんな形態にせよ、国民の生活にあまり入りこんでおらず、上層の教育ある階級は多かれ少なかれ懐疑的で冷淡である」(『The Capital of the Tycoon, A Narrative of a Three Year’s Residence in Japan, 2vols, 1863』)

と述べています。

それはおそらく諸外国のように、日本社会の上層部が宗教を利用する必要がなかったことも関係しているのではないかと予想。欧米諸国では宗教を隠れ蓑にして、子どもや庶民に対して散々酷いことをしてきたし今もしていますが、そういう役割を少なくとも江戸時代の日本では、宗教には求めなかったということなのではないでしょうか?

とはいえ当時の欧米人から見て、下層階級には多少の宗教感情が見られたといいますから、日本人の中にも全く宗教感情がなかったわけではないようです。

しかしながら明治時代初期に来日した欧米人には、全国各地のどんな僻地山間にも見受けられる膨大な数の寺社と住民の関係、

とくにその祭礼のありかたを一見したとき、彼らの喉を突いて出たのは「日本では宗教は娯楽だ」という叫びだった(『逝きし世の面影』p531、532)

といい、イギリス人探検家のイザベラ・バードも

「私の知る限り、日本人は最も非宗教的な国民だ。巡礼はピクニックだし、宗教的祭礼は市である」(『Unbeaten Tracks in Japan,2 vols, New York, 1880,vol.1』)

と述べて、お祭り騒ぎが好きな国民性を指摘しています。それは大日本帝国憲法発布時に、庶民には発布が「ハッピ」に聞こえて、お祭りを連想させて盛り上がったことにも表れています。

ただ、欧米人の持つ宗教概念には当てはまらないにせよ、日本人には日本人独特の信仰形態が存在していたのもまた事実です。

富士山への巡礼やその他寺社への巡礼、祭礼などは、日本人独特の信仰形態を表すものだと思います。諸外国の宗教施設に見られるような聖域的堅苦しさは、日本の寺社にはなく、住民同士が行事を行ったり、子どもたちの遊び場になっていたり、迷信と現世利益と娯楽の混じり合ったようなものが、日本の信仰形態なのでしょう。

香港主教イギリス人、ジョージ・スミスが述べたように、

「特定の祭日がめぐってくると、大衆の迷信的な信心がことごとく呼びさまされる。こういった例年の祭礼には、厖大な群衆が寺の儀式につめかける。飲食と歓楽が彼らの宗教の少なからざる部分をなして」(『Ten Weeks in Japan』)

おり、京都の西本願寺でイザベラ・バードから、日本の宗教について意見を求められた赤松連城(1872年にイギリスへ留学した改革派の学増)でさえ、

迷信はいまだに多く存在するけれども、真の信仰はほとんど存在しないのだ(『逝きし世の面影』p543)

と述べています。

もちろん、知識人や武士に全く宗教感情がないわけではなく、著者も

江戸期の武士の手になる随筆や紀行文のたぐいを読むと、彼らの思考が合理主義一点ばりで、神仏も含めた神秘な世界への感受力を欠いていたとはとても信じられない。彼らは単に、形骸化した既成宗教を軽蔑していただけだろう。(『逝きし世の面影』p547)

と述べているように、無神論者として捉えられてるのは一部分である可能性が高く、「寺社や僧侶を軽蔑していたから、寺社に崇敬の念を呼び覚ますようなものが何もなかったから、宗教感情がなかった」と結論付けるることはできない気がします。

そう考えると、欧米人が持つ宗教概念には当てはまらないものの、古くから行われているピクニック的な巡礼や、飲食と歓楽が主の祭礼だけでなく、現在流行ってるパワースポット巡りや御朱印集めなども、迷信と現世利益と娯楽の混じり合った日本独特の信仰形態といえるはずです。

日本人は何でも娯楽化・お祭り化してしまう傾向があるため、そうした信仰行動は、欧米人から見ると異様に映る部分も多いのでしょうが、八百万の神を信じながらできるだけ楽しく現世利益を追及する日本人に合った信仰形態なのでしょうね。

       



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奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、心理、(セミ)リタイア、海外移住、晴耕雨読生活などを 追い求めて暮らしています。

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