人間は足りないものを補おうとして、発展・発達してきました。
ただ、その過程で他国・他地域を侵略するなど、非人道的なことも数多く行われてきました。
日本でも琉球民族やアイヌ民族、オーストラリアではアボリジニ、アメリカではエスキモー、
アフリカでも先住民族など多くの人々が犠牲となってきた歴史があります。
自国の土地が恵まれない
それは、肥沃な土地と豊富な資源を求めた貧しくて力の強い者が、肥沃な土地と豊富な資源を持った土地に住んでいる力の弱い者を侵略・支配してきた歴史だといえます。
肥沃な土地と豊かな資源を持つ地域は、気候にも恵まれている場合が多く、そうした地域はその土地にあるもので暮らしていけるため、他国を侵略・支配する必要性に駆られないのかもしれません。
しかし、そうではない地域も世界には存在します。
年間半分以上は晴れ間を見ることのない暗い土地、寒すぎたり暑すぎたりする土地、自然災害が多い土地など、人が生活するのに大変な地域などがそうです。
そうした地域の土地では、年間を通じて安定して食物を作ることが難しい場合が多く、余程の創意工夫・努力をしなければ生活するのに大変な苦労をするでしょう。
他国を犠牲にする
ただ、創意工夫や努力にも限界がありますし、そもそもそんなことをしない地域だってあるはずです。
どちらにせよ、他地域を侵略・支配する概念を持つ人々は、他地域にある資源や人々の命を奪ってまで自分達の欲望を満たそうとします。
もちろん過酷な環境で生活しているからといって、皆が皆そうするわけではないと思います。
努力・工夫もしないけど侵略・支配もしない人々や、努力や工夫を重ねて国や地域を発展・発達させている人々など様々です。
人を大切にする土地
一方、年間を通じて気候が安定している肥沃な土地は、人にとって最適な生活環境である場合が多いため、幸せに暮らしていける可能性が高くなります。
そうした歴史を重ねてきた国や地域に住む人々は、人を大切にする傾向が強いと感じています。
逆に、そうでない過酷な生活環境下で歴史を積み重ねざるを得なかった国や地域に住む人々は、人を大切にしない風土がある気がします。
しかし、そうした国や地域では程度の差こそあれ、個人のもつ能力があらゆる面で異常に高い場合が多いのは興味深いです。
環境が人をつくる
環境が人をつくるといいますが、まさにその通りだと思います。
日本は一昔前まで、大雨、洪水、冷害、虫害、日照り、台風、火山噴火、地震、津波など多くの自然災害のために飢饉が起こりやすく、子どもを間引きしたり姥捨て山があったりしました。
もちろん今でも自然災害は多いですが、そうした厳しい自然環境があったがゆえに、人を大切に扱わない風土が根付いてしまったのだと思います。
個人より社会の存続を優先するのも、大半の組織が閉鎖的村社会であるのも、根性論や精神論が根強いのも、
元をたどれば、厳しい自然環境下で生きていくために身に付けざるを得なかった性質なのかなと思います。
結果として、それが精神病になりやすい環境構築につながり、現代に生きる多くの日本人が精神病的人格を持たざるを得ない原因の1つになっている気がします。
自然環境を変えるのは不可能に近いことですが、精神病になりやすい環境からの脱却は可能だと思います。
なるべく多くの人が心身ともに健康に生きられる社会になって欲しいです。