ぺんぎんメモ

sponsored link

出雲市駅から「らとちゃんバス」で石見銀山(世界遺産)

time 2017/04/14

「出雲大社」へのアクセス―早朝観光がおすすめ」で出雲大社を観光した際、せっかくなので石見銀山も観光してきました。1泊2日の強行スケジュールで足早観光となったため、1番の見どころである間歩を見ることはできませんでした(間歩とは鉱山の掘り口のこと)。ただ、石見銀山がある大田市の雰囲気を存分に味わうことが出来たので良かったと思います。

出雲大社を拠点に観光していたため、「らとちゃんバス」というバスを事前に予約し、出雲市駅前からこのバスに乗って石見銀山まで向かいました。40人乗りバスに乗客が私達含めて3人しかいなかったのですが、採算大丈夫かな??

バスを降りて最初に向かったのが「石見銀山世界遺産センター」です。ここで観光案内地図などをもらったり知識を深めたりすると、観光がスムーズに進むようです。石見銀山は1526年豪商の神谷寿禎という人が発見して以降、約400年間に渡って銀が採掘された場所だそうす。最盛期には世界に流通した銀の約3分の1が日本産であり、そのうちの大半が石見銀山産とも言われています。様々な有力者達が占領・奪還を繰り返していたということで、揉め事が絶えなかったのでしょうか。

石見銀山のバス停に降り立った時から、何だか物悲しい感覚を覚えるのはどうしてでしょう。土地柄なのかはたまた抱えてきた歴史のせいなのか…寂しい雰囲気を感じました。世界遺産にも関わらず、週末でも閑散としていました。

世界遺産センターを見た後、石見銀山資料館へ向かいました。石見銀山に関する資料はあまりなく、むしろ『解体新書』の方が目立っていました。ちなみに撮影不可だったので館内の写真が撮れなかったのが残念でした。

その後歩いて熊谷家住宅へ向かいました。熊谷家は銀山の経営などをしていた石見銀山最大規模の商家で国の重要文化財に指定されています。

当時の暮らしぶりが再現されていましたが、家の中は広々としていました。

全てが巨大サイズです。多くの使用人を雇っていたのでしょう。

日本海側でも明るい土地はありますが、歩きながら何故か寂しさを感じる場所でした。

 

昔の床屋さんもありました。

パン屋さんも。

1888年に開設された旧大森区の裁判所がありました。現在は旧法廷が一部復元されて「町並み交流センター」の施設の一部として無料公開されています。センター内では当時の銀の話について無料映像などが見れるようです。時間がなかったので通りすぎるだけになりました。

昼食は「Cafe&Dining Roomin’」というお店で頂きました。ここは梅の加工場だった場所をリフォームしたお店だそうです。

外観通り店内も広々としていました。時間をずらしたためかお客さんは少なく、ゆっくりと快適に食事を摂ることができました。

カレーと1番人気のデミオムライスを注文。食事メニュー以外にもスイーツやアルコールもあるようです。

昼食後「代官所地役人旧河島家」へ行きました。代々銀山の役人を務めたという河島家の住宅です。こちらは武家屋敷ならではの造りになっていました。

河島家の夕食例です。割と良いものを食べていますね。

2階に上がると武家屋敷らしいものが多くしまってありました。

歴史を感じさせる物がびっしりしまってあります。

こうしたものを見ると、当時の空気を少し味わうことができるので結構好きです。ただどうも江戸時代の物って色が濃いので圧迫感というか不気味さを感じます。

石見銀山は自転車での観光も勧めているほど広い場所なので、歩いて廻るのはある程度の体力・気力・時間を要します。周囲の山々を見ていると、工業化されていない時代に人の力だけで銀を掘り出したことの過酷さを感じます。黒部ダムではないですが、非常に多くの人を犠牲にしたのではないかと予想します。

観光が一応終わり石見銀山公園でバスを待つ間、近くにある「五百羅漢」を見てみることにしました。羅漢寺というお寺を通っていくのですが、賽銭要求がすごくて…でした。

羅漢寺の五百羅漢は鉱山で亡くなった人々の供養と、鉱山の安全祈願のために約25年の歳月をかけて建てられたものだそうです。羅漢像の建物内に入った時は重い空気に飲まれてしまいました。

自動販売機もこんな風に工夫されていました。日本的な細やかな気配りが感じられます。

とはいえ石見銀山周辺は出雲大社がある出雲市とは違って、街全体が寂しく感じました。もっと観光客がいたり私達の滞在時間が長ければ違ったのかもしれませんが、出雲大社のように長居したい雰囲気ではなかったです。

帰宅後知ったことですが、石見銀山にいは罪人の処刑場跡と処刑された人を入れた千人壺など負の遺産もあるようです。世界遺産登録の際に役所を含めた地域全体が隠したため、現在では観光案内図にも掲載されなくなったようです。石見銀山では銀を掘りに間歩へ入った人が銀を盗まないよう、見せしめのために処刑をしたそうです。とはいえ無実の人も多く処刑されたり、処刑された人々の遺体を周辺井戸や千人壺などに投げ込んだりしたことは、人権無視の江戸時代を象徴するものです。

こうした遺産も含めて後世の人々に伝えていくことも必要だと思うのですが、それさえも危険な場所なのかもしれません。帰宅後そうした閉鎖的な部分を知り、滞在時に感じた寂しい・物がなしい雰囲気の理由を知った気がしました。

down

コメントする




CAPTCHA


ご挨拶



アーカイブ

免責事項

当サイトの文章・画像・デザインの無断転載は固くお断りいたします。いかなる損害が発生しても当サイトは賠償責任を負いません。