政府に対する庶民の姿勢が、江戸時代から変わっていない

以下にも書いたように、『逝きし世の面影』における欧米人の記述からは、

江戸時代~明治時代初期の庶民がとても幸せそうに暮らしていたことがうかがえます。

しかしながら、自由民権論者であった植木枝盛が書いた文章からは、それとは違った庶民生活が見えてきます。

植木枝盛は35歳で亡くなりましたが、その短い生涯で見た当時の社会に関しては、鋭い指摘を連発しています。

『植木枝盛選集』(家永三郎、1974)によれば明治時代初期における日本人口は約3700万人で、

農業者数は地主と小作人を合わせて、約1563万人と人口の約半分を占めていたそうです。

また工業者は約73万人、商業者は約153万人だったとのこと。

義務教育の際に「江戸時代人口の8割は農民」と習った覚えがありますが、

江戸時代後期から明治時代にかけて(=植木枝盛が亡くなるまでの間に)、

農民人口が大幅に減る特殊事情でもあったのか?…謎です。

そんな明治初期ですが、1885年9月20日~10月11日の『土陽新聞』で植木枝盛は、

徳川幕府は貧しい庶民に対して「上を見るな」「身の程を知れ」と言って牛か豚かのような扱いをしていた、と批判しています。

特に、百姓が今よりも豊かな生活を希望したり、できるだけ身分が上がることを望んだり、できるだけ立派な人間になることを望んだりすることを、

徳川幕府が驕りと見なしていた点に関しては、「政府に都合のよい勝手な解釈だ」として痛烈に批判しています。

江戸時代は現代以上に、生まれた家柄・境遇・土地で人生を運命づけられてしまう時代だったと思うので、

経済的に貧しい暮らしの庶民に対し、現状を変えさせないよう強いる徳川幕府に対して植木枝盛は怒り狂っていたのかもしれません。

とはいえ、だからこそ「経済的に貧しい生活であっても、できるだけ楽しく生きよう」と、大人も子どももできる限りの娯楽を得ながら日々生活し、

そんな姿を見た数多くの欧米人が「日本は子どもの楽園だ」「日本人は皆笑顔で機嫌が良い」と捉えることになったのかもしれません。

地域差もあったでしょうし、あくまで推測ですが…

明治時代初期に書かれた植木枝盛の記述を読んでいると、『逝きし世の面影』の欧米人たちの記述が信じられないくらい、過酷な庶民生活(特に小作人の農民)の様子が伝わってきます。

もしかすると、欧米人の居住地域周辺に住んでいた庶民と、経済的に貧しい藩に属していた庶民とでは、生活レベルが結構違ったのかもしれません。

その家穴の如くにして、暑熱蒸すが如しといえども、風の入るべきなく、寒気骨に徹するといえども、軀の温まるべき蒲団もなく、時候変るといえども、衣物は質屋の庫に封じられ、喜びあれども、鮮魚を喰うこと能わず、疾あれども、医者を迎うること能わず、髪は乱れ、虱は殖え、甚しきに至っては、妻を貸り、女を売り、兄弟妻子離散するに至るは、すなわち貧民の天地なり。(『植木枝盛選集』)

江戸時代~明治時代初期は、男女ともに上半身ほぼ裸で日常生活を送っていたと言われますが、

それは蒸し暑い気候だけでなく、経済的な貧しさで十分な衣類を持てなかった点も影響しているかと思います。

ただ、上記のような植木枝盛の記述も『逝きし世の面影』にある欧米人たちの記述も、どちらも事実を表しているのだろうと思います。

例え同じ光景を見ても元々属している社会が違えば、捉え方が異なる可能性は高いからです。

一方、植木枝盛はそれだけ経済的に貧しい庶民生活を目にしてはいるものの『民権自由論』で、

彼の徒に一身一家の上にのみ身を働かして更に国家公共の事に心を用い気を付けず国家の事を視るはあたかも他国異域の事柄を観るが如く全くこれを度外に視て己はいっこう関らず自由の精神なく独立の気象なく政府に依頼し政府を恐怖し政府の命令とあれば是となく非もなくへーへーはいはいひたすらこれに従って言うべき事も言いもせず論ずべき事も論じもせず怒るに怒らず怨むに怨まず卑屈の奴隷に安んじてここに満足する人民等はこれは国家の良民ではない、ほんに国家の死民でござる。到底人間仲間の付き合いによって生長したる人民なれば所詮一人一家の事にのみ心配するでは事は済まない、更に国の事世の事にも広く心を用いねばなりません。

と庶民の、政府に対する姿勢を批判しています。

この点については、当時来日した欧米人たちの記述と同じです。

国家の事を視るはあたかも他国異域の事柄を観るが如く全くこれを度外に視て己はいっこう関らず」という部分や、

政府の命令とあれば是となく非もなくへーへーはいはいひたすらこれに従って言うべき事も言いもせず論ずべき事も論じもせず怒るに怒らず怨むに怨まず卑屈の奴隷に安んじ」という部分は、

現代日本人にも通じる部分ではないかと思います。

江戸時代、幕府が庶民に対して言っていた「上を見るな」「身の程を知れ」という言葉。

それは現代でも、様々な場面で使われているかもしれません。

が、それを許しているのもまた庶民。

社会の動向に目を向けながら、おかしいことに対しては「おかしい」と声をあげていくことが不可欠だと、

植木枝盛の文章を読むたびに強く感じています。