昨年末、小田原から箱根湯本の6.3kmを歩いたのですが、今の時期の山越えは厳しいのでは…という夫の意見(圧力)により、先に三島以降を歩くことになりました。
そのため今回は、三島駅から出発して沼津駅まで。
三島駅前には高齢者が多く、ほのぼのとした雰囲気でした。
国道51号線を真っ直ぐ歩いていると、右手に三島市民文化会館なる立派な建物。
また少し歩くと、楽寿園という立派な庭園がありました。
帰宅後ググると、明治維新で活躍された小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営したもので、昭和27年から市立公園として三島市が管理運営しているのだそうです。
また、昭和29年には庭園が国の天然記念物および名勝に指定されたらしい。
園内には、どうぶつ広場やのりもの広場、郷土資料館、楽寿館があるそうで、かなり広い庭園のようでした。
また少し歩くと、式内二宮浅間神社の石碑。
国道51号線の両側には、沼津に近いためかうなぎ屋さんを多く見かけました。
あと地元の小売店が多く賑わっていました。歩道が広くて歩きやすかったです。
そんな中、行列ができているお店を発見。
メロンパンを売っているお店のようで、老若男女が笑顔で順番待ちをしている光景が微笑ましかったです。
食べてみたかったのですが、並んでいる余裕がないので行列を横目に先へ進みます、残念!
歩き進めていると、白滝観音という石碑。
昔は楽寿園一帯を白滝と呼んでいたそうで、宿場の生活用水の水源地であったため水神が祀られたり、観音堂が設けられたりしたそうです。
源兵衛橋の下を流れる源兵衛川は、もともとは灌漑用水路で下流で水田用水に利用されていたそうです。
が、水温が低すぎることから近年は温水池が設けられて水を温めていたといいます。
昔、源兵衛川の川沿いに三石(みついし)という巨石があり、その上に社殿を建て稲荷社を祀り、三石神社となったそうです。
三石神社境内にある鐘は時の鐘と呼ばれており、江戸時代から旅人や三島の人に親しまれてきたらしい。
線路を超えると、三島広小路駅がありました。
狭い道を歩いていくと、八坂神社と秋楽神社がありました。
三島宿は江戸時代何度も大火に見舞われ、疫病(えきびょう)も流行して人々を脅かしていたので、
火防の神・秋葉の神と、疫病の神・素盞之男命を氏神として祭祀を盛大に行なうようになったのだそうです。
清水町という地域を歩いていると、右手に松並木。三島宿まで二町、沼津宿まで一里と書いてあります。
その横には、常夜灯と呼ばれるものがありました。
1846年に建立されたそうですが、江戸時代に使われていた本物の常夜灯だそうです!
常夜灯の両側には秋葉大権現と富士浅間宮と刻まれていて、名主や村人が防災の願いを込めて造ったものだと言われています。
玉井寺一里塚。今まで見てきた一里塚と異なり、周囲に木や植物が生い茂っています。
大きな通りに差し掛かった辺りで、国道51号線から県道380号線へ右折しました。
歩いていると黄瀬川が見えてきます。
歴史に詳しい方であれば、黄瀬川の戦いを思い浮かべるのかも。
川には鯉がいるのが綺麗に見えました。
黄瀬川を渡っているところで、右手に富士山。
実は右手にずっとちらちら見えていたのですが、建物に隠れてなかなか写真におさめられなかったのです。
県道380号線を歩いて少しすると、沼津市に入りました。
県道380号は旧国道1号のため、道が広くて歩きやすいです。
380号の広い道を歩き続けていると、周囲の風景や地名により沼津駅に近付いている実感が沸いてきます。
このまま大通りを歩いても良いのですが、せっかくなので少しだけ旧東海道を歩くことにしました。
歩いた道は川廓(かわぐるわ)通りと呼ばれる道で、川廓町の東側が狩野川に接し、背後が沼津城の外郭に接した狭い町の通りでした。
少しだけ旧東海道を歩いた所で、長い商店街を見つけたので駅まで歩いてみることに。
結構賑やかで栄えている商店街でした。三島も沼津も地域密着の地元店が元気な印象です。
約1時間半で沼津駅に到着。
気持ちの良い冬晴れだったので、気分もスッキリ!今回は距離が短かったこともあり、足腰への負担も少ない快適な東海道歩きでした。
ちなみに今回知ったことは、熱海駅~三島駅、熱海駅~沼津駅間ではSuicaやPASMOが使えないことです。
不便でしたが、久々に切符を使って新鮮な気分も味わえました。