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のつづきで、故宮博物院所蔵品の覚書。
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西周晩期 散盤
散盤は、故宮博物院にある3つの有名な青銅器のうちの1つで、器内には350文字の碑文が刻まれているという。
その内容は、魏国が散在国家を侵攻したのが無駄だったため、その埋め合わせとして土地を割譲したと記されており、譲渡された土地の範囲や測量に参加した役人の名前などが詳細に記録されているそうです。
こちらの青銅器の内側にも、びっしり銘文が刻まれていました。
こちらのフタ付き青銅器は、フタの内側に銘文が刻まれていました。
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春秋中期 子犯龢鐘 (八件)
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西周晩期 毛公鼎
こちら毛公鼎も、故宮博物院にある3つの有名な青銅器のうちの1つだそう。
この器内にも500文字の碑文が刻まれており、その内容は西周時代の「宣王の復活」の歴史が語られているそうです。
3000年近く前に造られたものが残っていること、そしてそこに銘文が刻まれているのことにビックリ…
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秦 廿六年詔橢量
さらにとてつもなく驚いたのが、秦 廿六年詔橢量。
外壁に刻まれている41文字の銘文からは、紀元前221年に秦の始皇帝が度量衡を統一する勅令を発したことが分かるそうです。
兵馬俑や秦の始皇帝陵以外にも、秦の始皇帝時代のものが今も残っていることに驚愕…
もはや凄すぎて理解が追い付きません。
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新莽嘉量
こちらは新の時代に造られた、度量衡の新莽嘉量(しんもうかりょう)。
側面に刻まれた81文字の銘文からは、王莽が度量衡を統一する勅令を発したことが分かるらしい。
この時代にすでに量りがあったことにビックリだし、それが今も残っていることに唖然。
このあたり凄すぎて言葉を失い続けています…
いろいろな意味で気を取り直して…
こちら清代に使われていたとされる燭台。
こちらの燭台も優雅~
歴代皇后や側室などの部屋に置かれ、その歴史をともに過ごしていたのかと思うとすごい。
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南宋至元 青瓷橢圓硯 、唐 黃釉枕形硯
青瓷橢圓硯の底面には乾隆帝の「淳窯硯銘」が刻まれており、「この硯は趙・宋の淳窯で作られた。表面は平らで素焼きで、池がある。この硯は珍しい。」と記されているそうです。
黃釉枕形硯は磁器硯で、硯の表面を除いて全面に釉薬がかけられているそうです。
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宋 從星硯
宋の時代の硯で、側面には文字が記されており、鏡に映る裏面はボコボコしていました。
奥にある硯は、裏面に文字が記されていました。
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清 乾隆 霽青描金游魚転心瓶
この陶磁器は内瓶と外瓶からなる転心瓶で、内瓶を回すと描かれた金魚が泳いでいるように見えるらしい。
技術も発想力もすごい…
豪華すぎる装飾の陶磁器はだいたい清の時代に造られたものが多い印象ですが、乾隆帝時代のものは装飾が過剰でケバく個人的に苦手…
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清 粉彩八寶紋盤と粉彩百蝶紋瓶
こちらはまだマシかな。
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西漢 黑陶繭式壺
美しい字が書かれた容器に目を奪われてパチリ。
容器側面には、清の乾隆帝が書いた90文字の詩が刻まれているそうです。
ワインの保管に使用されたらしい。
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北斎 加彩陶武士俑 唐 三彩馬球仕女俑
こちら、北斎と唐の時代のもの。
唐の時代の女性は健康を美しさと考えていて、襟付きの胡シャツ、細い袖、柔らかいブーツを好んで着て乗馬活動を行っていたそうです。上流階級のみと思うけど…
また、唐の時代には厚い埋葬が流行し、墓の副葬品は、こうした鮮やかな彫刻が施された人物像など非常に豪華だったそう。
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唐 灰陶加彩仕俑
通路の空間に展示されていた、唐 灰陶加彩仕俑もそうした副葬品の1つ。
唐の時代は厳粛な葬儀を重視し、故人が来世で楽しい生活を送れるようにと願う一方で、豊かな品物を埋葬することが多かったらしく、唐の墓には、この女性の置物のような粘土で作られた人型の副葬品が数多く見られるそうです。
この女性に見られる、ふくよかな体型、細くて長い眉と目、小さな桜の口、丸い顔、穏やかな表情は、唐の時代の女性が追求した体と外観らしい。
髪を高くお団子にまとめ、両側の髪で顔を囲むスタイルが、唐時代後期に流行したスタイルなんだそうです。
履物の先が直角に曲がっているのが、当時の中国っぽい~
唐の時代の品は、西安博物館に展示されていたものと似ているものが多かったです。
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宋 定窯 白瓷嬰兒枕
硬そうな枕で快眠できるかは不明ですが…有名な品なのでパチリ。
個人的にはちょっと怖かった。
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宋李唐炙艾図 軸
国宝展示室では、宋李唐炙艾図という面白い絵が展示されていました。
この絵では、民間の医者が「艾灸」(もぐさを使ったお灸)で治療をする様子が描かれているのですが、背中に置かれたお灸の熱さをこらえきれない患者が体をよじって叫んでいる、その表情が豊かで面白かったです。
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清 茄楠木手串 附錫盒
伽楠木という良い香りのする木で作られたブレスレット。
右に置かれていた銀色の入れ物とセットのようです。
伽楠木は中国南部沿海の山間部と東南アジア一帯に分布する希少な香木であり、すっきりとした芳香を放つそう。
明と清の時代~斎室に焚く香に使われたほか、扇子の下げ飾り、腕珠、念珠、朝珠(清朝官吏が礼装時に身に付ける首飾り)、彫刻仏具などの材料として用いられたらしいです。
清朝朝廷の記録によると、雍正・乾隆の時代に広東地域の官吏より伽楠木の腕珠、香珠が何度も献上されているとのこと。
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明 掐絲琺瑯鳧式爐
明の時代に作られた、琺瑯製七宝焼きアロマテラピー線香。
金箔の台座は後の時代に加えられたと考えられていて、底部中央には乾隆時代の文物鑑定証である「A」の文字が刻まれているそうです。
明代中期~後期は動物の形をした琺瑯器が登場し、琺瑯器の形状が豊かになった時代らしい。
カモが今にも動き出しそうな技術の高さが凄い!
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清 彫犀角菊花小圓盒
清の時代にサイの角から彫られた小さな丸い菊の箱には、約1㎝の小さな彫刻が19個入っているそうです。
その彫刻品は、竹、梅、蝶、花かご、小さな船など多様なテーマで構成されているらしい。
やはり彫刻技術の高さは神レベルです。
同じく清の時代(1737年)に作られた、オリーブの種を使った極小の彫刻品、陳祖章彫橄欖核舟を見ていないのが残念…
最後辺りで疲れていたのだと思います。
豪華な身の回りの品を入れておく収納箱もいろいろありました。
上流階級にのみ許された品かな。
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白い文鎮みたいなのが、清 彫象牙螭龍文圧尺
可愛い文房具類も。
圧尺には清朝内務府の札が残されていて、同時に展示されている筆筒、文鎮、挿屏(卓上に置く屏風の形をした置物)、水入れなど共に乾隆帝が政務に使用した一組の文房具であったと考えられているそうです。
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清晩期 彫象牙透花人物套球と雕象牙九層塔
最後に、あまりに有名な象牙の多層球。
じーっと見てもどんな構造になっているのか分かりませんでしたが…神業であることだけは確か。
清の時代の南部象牙彫刻の職人技は、その鎖のつながり、可動模様、象牙の絹編み、多層の象牙の玉などにより、北京の宮廷では「不滅の職人技」としても知られていたそうです。
奥に見える雕象牙九層塔も同じ象牙作品ですが、同じく南部象牙彫刻の特徴が強いらしい。
ちなみに、雕象牙九層塔は1940年代に日本の宮内庁から返還された古美術品だそうです。
故宮博物院所蔵品は国立故宮博物院Open Date專區や国立故宮博物院 典藏精選で詳細を調べられ、
時代や素材から調べていると面白いです。
3時間半以上、中国大陸の歴代皇室・宮廷所蔵品を、台湾で見ていて不思議な感覚になりましたが、
ワレモノばかりの大小さまざまな宝物を、大陸から69万点も運んだ蒋介石の凄さに唖然としました。
それでも8割くらいは大陸に残してきたそうなので(役人による横流し、からの個人所有、火災などを経て、現存数は不明)、総量を想像すると黄河・長江流域文明の凄さをひしひし感じた次第。
それにしても集中して観賞していたら疲れました…
展示数は多くても8000点ほどらしいので、69万点全部を見ようとすれば一体どれくらいの時間がかかるのか…
ブログを書きながら思ったことは、もっと勉強してもう一度見に行きたい!
長くなったので、2日目続きはまた明日にします。