先週、天気が良い2泊3日で沼津~興津(1日目は沼津~吉原、2日目は吉原~興津)を歩いてきました。
今回は、1日目に歩いた沼津~吉原の記録です。
2泊3日とはいえ2日間で体力を使い果たしてしまい、最終日はほぼ帰るだけとなってしまいました。トホホ…
ただ、今年は桜の満開時期が観測史上最も遅かったらしく、満開の桜を横目に歩くことができたのでその点では良かったかな。
快速アクティーで熱海駅へ行き、熱海駅から東海道線で沼津駅まで行きました。
前回もそうでしたが、熱海以西ではPASMOやSuicaが使えないので、改札口で駅員さんにICカード処理をしてもらいました。
駅売店で、静岡グルメ「のっぽパン」が売っていましたが、今は極力荷物を持ちたくないので見るだけ…
それでは、出発!
静岡駅前から東海道に出るために仲見世通りを通っていきます。
三島から沼津の6.5kmを歩いたの時にも通った道ですが、アーケード内は活発で賑わっています。
ただ、仲見世通りを過ぎて海へ向かう道はシャッター通りが続いていました。
そうこうしながら歩いていると、中村脇本陣跡。
沼津宿は他の主要宿場と同様に1601年に整備されたそうで、本陣が3軒、脇本陣が1軒、旅籠が55軒、茶屋が13軒あったそうです。
その後すぐ、清水本陣跡がありました。他にも本陣跡があるようですが、通り過ぎてしまったようです。
千本浜公園へ行きたいので、県道160号線を歩いて行きます。
少し歩くと、立派な神社。
ここには古くから浅間神社が鎮座していたそうですが、明治になって丸子神社が一緒になり、浅間神社とも丸子神社とも言われているようです。
浅間神社は801年に坂上田村麻呂によって創建されたとの言い伝えがあり、江戸時代の参勤交代時には多くの大名がこの浅間神社を参拝したとの記録も残っているそうです。非常に由緒ある神社です。
徐々に千本浜公園へ近づいてきます。
そんな千本浜道を歩いていると、乗運寺という立派なお寺がありました。
伝えによると、合戦によって荒れ果てたこの地域に旅の僧である増誉上人がやって来て、土地の人々が潮風の害に苦しんでいる姿を見て、お経を唱えながら松苗を植え続けたといいます。
その数、千本街道に15km以上続く松林全て!
凄すぎ…
そんな増誉上人の行いとその徳をたたえて、1537年に草庵を建ててそこに住んでもらうようにしたのが、乗運寺の始まりだそうです。
いよいよ千本浜公園へ入っていきます。
ちなみに、園内道路沿いに「千本プラザ」という施設があるので、そこで飲み物を買って休んだりトイレを借りたりしました。
桜や松林を抜けると、もうそこは海岸。
天気が良く、日差しが強くて暑い!
写真ではよく伝わりませんが、想像以上に海がキレイでびっくり!
本来なら真正面の雲がある辺りに富士山が見えるそうですが、今日は残念ながら拝むことができませんでした。でも海岸沿いは気持ちいい!
右側は増誉上人が植えた松林が広がっているので、しばらくは東海道ではなく海岸沿いを歩くことに。
東海道よりも歩道が広くて歩きやすいです。
ただ、その後海岸沿いの道から元の東海道に戻り、千本街道と言われる道を歩きました。
松林の間に所々桜が咲いていて美しい景色でしたが、東海道は工場地帯が続くので、歩くならやっぱり海岸沿いがいいです。
千本松の間にも道があったのですが、暗くて少し不気味でした。
松林の間にあった、要石神社(かなめいしじんじゃ)という神社。
要石とは、地震災害除けの守り神のことで、全国各地にあるみたいです。
昔は地下にいる大ナマズが暴れて地震を起こすという俗信があったため、この石をナマズの頭にのせて災害から守るということで祭られているようです。
ちなみに要石神社に、耳の悪い人が穴あきの石を奉納・祈願すると必ず治ると言われているそうです。
その後歩いていると、「間の宿 柏原・本陣跡」の標識。
いつのまにか沼津市から富士市に入っていたようで、原宿も通り過ぎてしまったようです。
話ながら歩いていたため気付きませんでした。
間の宿(あいのしゅく)とは、宿場間の距離が長い場合や峠越えなどの難路の場合に、宿場と宿場の間にできた町場だそうです。
公的には宿場と認められていないため、旅行者の宿泊は禁止されていたらしいですが。
前後に峠はないので、原宿と吉原宿の間が長いということなんでしょう。
ちなみに、間の宿よりも小規模なものを立場といい、間の宿の中には立場が発展したものもあるようです。
少し行くと、正法山立園寺というお寺がありました。
この一帯は原宿と吉原宿の中間に位置しており、この辺りに「間の宿 柏原」が設置されていたと考えられているそうです。
この場所は特に眺めがよく、参勤交代の行列が休憩しながら富士山の眺望を楽しんでいたと言われています。
残念ながらこの時は曇っていて見えませんでした。
県道380号線を黙々と西に歩いていると、立派な「増田平四郎の像」を発見。
昭和放水路の上流にある富士市東部の浮島沼一帯は、標高差がないために排水が悪く、水が溜まってしまうという被害が度々起きていました。
この状態を改善するため、原(現沼津市)の増田平四郎が浮島沼の大規模な干拓を計画し、現在の昭和放水路と同じ場所に水干(すいほし)といわれる放水路(全長505m、幅7m)を完成させました。
しかし、せっかく完成させた放水路は高波によって破壊されてしまい、その後放水路の建設を何度も役所に嘆願したそうですが聞き入れてもらえませんでした。
しかし住民はその功績を称えて、ここに像を立てたのだそうです。平四郎没後50年以上が経った後、同じ場所に造られたのが昭和放水路とのこと。
ここから170号線になります。
国道1号線を歩いていた時は道が広くて楽でしたが、入り組んだ道を歩くのは大変です…
気が利く標柱です。
(元)吉原宿跡。
その後ずっと歩いていたのですが、コンビニも市民センターもないのでトイレ休憩ができず、仕方ないので東海道から国道に出ることに。
小林医院手前で線路を渡り、国道へ向かいました。
国道へ向かう道は工場地帯で川の水がすさまじく汚れていましたが、桜はキレイでした。
トイレ休憩を済ませて国道沿いを歩いていたら、美しい満開の桜が川沿いに咲いていました。
東海道とは違い、国道沿いは飲食店も豊富でにぎやかです。
ここで、本日泊まる宿へ向かいます。
ジャトコという会社が有名のようで、岳南電車岳南線ジャトコ前という駅近くのホテルに泊まりました。
ホテル比佐志別館。
周囲に飲食店がないため夕食は歩いて10分ほどの飲食街に食べに行きましたが、ホテルの隣にコンビニがあるので1人だったらそこで構わないかもしれません。
今日は10時半に出発して昼食や休憩を挟みながら、ホテルに16時ごろに到着しました。湯船でよく足をマッサージして明日に備えます。