横浜から戸塚の12kmを歩いて3日後、再び東海道を歩いてきました。
年内に日本橋~箱根湯本間を完歩しておきたかったので、今月は少しハードかも。
しかも今日の天気は12月にも関わらず20度越えの陽気だったので、暑さで疲れました。
戸塚駅前を出発してまず見つけたのが、澤邊本陣跡(さわべほんじんあと)。
戸塚には本陣が2軒あり、それぞれ内田家と澤邊家がつとめていたそうです。
なお、現在も裏手には澤邊さんの住居がありました。近くには明治天皇戸塚行在所阯の碑があります。
通称「お天王さま」として親しまれている戸塚宿の鎮守、八坂神社です。
こちらは、冨塚八幡宮。
少し歩くと、戸塚宿上方見附跡。
東海道の主要宿は出入口にそれぞれ、江戸に近い江戸見附と京都に近い上方見附が置かれていました。
戸塚宿~藤沢宿の間は坂が続きます。
大坂という緩やかな坂です。
現在の大坂になるまでに数回の改修が行われたそうですが、なるべくラクな坂がいいです…
両脇は住宅団地のためかバスも頻繁に通っています。
天気の良い日に大坂の松並木から素晴らしい富士山を眺められることから、多くの浮世絵の画題となったそうです。
それがこの松並木。
登り切ると今度は下り。戸塚は道路が常に混んでいて通行が激しいです。
日本橋から46km地点を通過。随分歩いた感じがしますが、まだまだ先は長いようです。
原宿一里塚跡。
横断歩道を渡った場所にあるのが、浅間神社の入口。
室町時代に盛んだった富士信仰をもとに、村内安全を祈願するために勧請されたと言われています。
境内には樹齢600年を超える椎の木があり、西には富士山や箱根連山を見ることが出来るそうです。
日本橋から48km地点を通過。
戸塚宿周辺散策の案内板を見つけました。
戸塚宿の成立は1604年(慶長9年)、日本橋から数えて5番目の宿場町で、朝江戸を出発した当時の旅人の1番目の宿泊地として最適な宿だったそうです。
また、鎌倉への遊山道、大山参詣道の分岐宿として、大変な賑わいを見せていたといわれています。
東海道宿村大概帳によると、宿内の人口は2,900人余り、家数は613軒、本陣は2、脇本陣は3、旅籠は75軒と、東海道五十三次の宿場の中では10番目に宿泊施設の多い宿場だったそうです。
昔、遊行寺近くの大金持ちの森家で大蛇が飼われていたのですが、その大蛇があまりに大食感のために飼い主は面倒をみきれなくなり、近くの池へ捨ててしまったそうです。
が、お腹が空く大蛇は池の前を通りがかかる旅人の影を食べては、その食欲を満たしていたのだそうですが、
影を食べられた旅人たちが相次いで命を落とすという噂が広まったため、近くに住む鉄砲名人がその大蛇を鉄砲で退治。それが由縁で、この一帯を鉄砲宿と呼ぶようになったといわれています。
随分と歩いて藤沢市に入りました。
雲行きが怪しくなってきて、小雨が降ったりやんだりを繰り返しています。ザーザー降りにならないことを祈りながら歩き進めていきます。
遊行寺坂の途中にあった、江戸から12番目の一里塚。
現在の遊行寺坂はかつての道を掘り下げたものだそうで、今とは異なっているそうです。
一里塚は旅程の目安になるとともに榎や松などの木が植えられ、旅人が休息を摂れるように配慮がある場所ですが、この一里塚には跡はありませんでした。
ようやく藤沢市内が見えてきました。
藤沢橋を渡ります。橋を渡って右手に藤沢宿跡があるのですが、夫が疲れているのでまた次回…
何とか小雨のまま、藤沢駅に到着できそうです。歩きやすい道になり足取りも軽くなります。
江の島道を案内した標柱がありました。
やっとのことで藤沢駅に到着。
今回は坂が多かったせいか、距離が短いにもかかわらずかなり疲れました。
それでも年内に日本橋~箱根湯本間を歩くという目標が達成できて良かったです。
また、来年箱根の山越えから始めたいと思います。