買ったまま数年間放置していた『海外農村視察必携 世界の農業をどうとらえるか』(七戸長生、1993)を最近ようやく読みました。
これは日本で農業に従事している人々が、海外視察時に必要な準備・勉強・視点と、その海外視察で得た情報の展開方法を紹介している本です。
今回はこの本から、明治時代初期から変わっていないと思われる、日本人と日本社会の性質を示す箇所を紹介したいと思います。
江戸時代から変わらない日本人の性質4つで紹介していない性質です。
今回は、明治時代に来日した外国人が日本各地を視察した際に指摘したものですが、
まずは1876~1902年までの26年間東京大学医学部の教師を勤めた後、宮内省御用として3年間滞在しながら1906年まで日本に滞在した、ドイツ人医師ベルツの指摘からご紹介します。
彼は日本滞在中にドイツ医学を伝えながら、東京大学で医学の教育・研究および診療に従事した親日家で、
「日本の政界の要人伊藤博文、井上馨、青木周蔵と親交があり、各国の公使館に出入りして、情報を容易に知り得」る立場にあったため、「日本の皇室、上流社会から下層階級にいたるまで多種多様の人々と付き合」(『ベルツの日記 上』)
っていたそうです。
そうした親日家にもかかわらず、かなり厳しい指摘をしています。
「わたしくの見るところでは、西洋の科学の起源と本質に関して日本では、しばしば間違った見解が行われているように思われるのであります。人々はこの科学を、年にこれこれだけの仕事をする機械であり、どこか他の場所へたやすく運んで、そこで仕事をさすことのできる機械であると考えています。これは誤りです。西洋の科学の世界は決して機械ではなく、一つの有機体でありまして、その成長には他のすべての有機体と同様に一定の気候、一定の大気が必要なのであります。~中略~
西洋各国は諸君に教師を送ったのでありますが、これらの教師は熱心にこの精神を日本に植えつけ、これを日本国民自身のものたらしめようとしたのであります。しかし、かれらの使命はしばしば誤解されました。~中略~
日本では今の科学の″成果″のみをかれらから受取ろうとしたのであります。この最新の成果をかれらから引継ぐだけで満足し、この成果をもたらした精神を学ぼうとはしないのです。~中略~
この精神をわが物とすることは容易ではありません、それはとても手のかかる存在で、たいていはそれに一生を費すのであります。(『ベルツの日記 上』)
外国からの技術や知識を吸収するやり方がその場しのぎ的で、
その技術や知識が生み出されるに至った精神を学ぼうとせずに、利用できる部分だけを利用しようとする姿勢を批判しています。
泉谷閑示氏の言葉を借りるなら、「上澄みだけの輸入」ということになると思います。
確かに、当時は布教活動していた外国人も多かったと想像できるので、精神面での洗脳を警戒した可能性もあります。
ただ、その場しのぎ的に物事を捉える視点は、役立ちそうなうわべのものだけを安易に利用する傾向が強くなり、物事への誤った認識が起こる可能性があります。
とはいえ、精神面まで学ぶことは時間も労力もかかることなので、当時のように切迫した状況下では仕方なかったのかもしれません…
著者も述べているように、チンタラ学んでいると欧米諸国に植民地にされかねない、という恐怖心が明治政府にはあったと思います。
また、長期的視点で考える習慣がないのは、元来そういう視点を持たない民族なのだろうと思います。
時間的概念が生まれたのも明治時代になってからですし、もともとゆったりのんびりとした民族だったのだろうと想像するからです。
それが、ここ150年で周辺諸国や欧米諸国からの圧力によって、軍国化や欧米化に無理やり合わせる羽目になり(詳しいいきさつは不明)、
結果その場しのぎの視点で、うわべだけの技術や知識を輸入せざるを得なかったのかもしれません。
しかしながら今後、日本社会におけるあらゆる仕組みをまっとうな形で運営していくためには、
うわべだけの浅い知識・技術を習得する風土からは脱却し、そこに至った精神までも理解する風土を、長期的視点で養う必要があると思っています。