ぺんぎんメモ

欧米人から見た江戸時代の売春制度

time 2019/04/22

『逝きし世の面影』(渡辺京二、2005)における訪日外国人の記述から、何度かご紹介している江戸~明治時代初期の庶民の暮らし。今回は、当時訪日した欧米人が揃って指摘した日本人の悪徳、淫らさについてご紹介したいと思います。

以前、江戸時代の日本人に性的羞恥心はなかったでも書いたかもしれませんが、この時代の日本人は庶民層・上流階級問わず淫らで嘘つきだ、というのが欧米人の間にあった共通認識で、それを日本の上流階級も自覚していました。

そうした認識を持たれた原因の1つに、制度化された売春があります。そしてそれは、欧米人の好奇心と議論の的にもなっていました。謹厳な香港主教イギリス人のジョージ・スミスは、日本人の混浴や裸体で過ごす習慣に対して憤慨した後で、

「顔立ちのよい女性は堕落した両親によって売られ、幼い頃から恥辱の生活にゆだねられる。奉公の期限が満ちると、日本の中流階級と結婚することも稀ではない。男たちはこういう施設から妻を選ぶことを恥とは思っていないのだ」(『Ten Weeks in Japan』)

と述べ、キリスト教国家では考えられない社会制度、社会構造、社会風潮に驚嘆しています。アメリカ人地質学者パンペリーも『日本踏査紀行』において、

「婦女子の貞操観念が、他のどの国より高く、西欧のいくつかの国々より高い水準にあることは、かなり確かである」にもかかわらず、「自分たちの娘を公娼宿に売る親たちを見かけるし、それはかなりの範囲にわたっている」

ことに、矛盾を感ぜずにはいられなかったようです。しかし、一方でこの公娼制度が

「他の国々では欠けている和らいだ境遇を生み出」していたことも事実で、「犠牲者はいつも下層階級出身で、貧困のために売られ」ていたのですが、「彼女たちは自分たちの身の上に何の責任もないので、西欧の不幸な女たちをどん底に引きずり込む汚辱が彼女たちにつきまうことはない。これとは逆に、彼女たちは幼少時に年季を限って売られ、宿の主人は彼女たちに家庭教育の万般を教えるように義務づけられているため、彼女たちはしばしば自分たちの出身階級に嫁入り」

していたことも認めていて、いかに西欧的概念には当てはまらない売春制度だったかが想像できます。彼女たちは社会から除け者扱いを受けることもなければ、祭礼中寺詣りができないこともなく、25歳までの年季を勤め上げれば家庭に入ることもできたといいます。イギリス人のラザフォード・オールコックも、

「法律の定めるとおりに一定の期間の苦役がすんで自由の身になると、彼女たちは消すことのできぬ烙印が押されるようなこともなく、したがって結婚もできるし、そしてまた実際にしばしば結婚する」

と述べていますし、オランダ人軍医ポンペ・ファン・メーデルフォールトにいたっては『日本滞在見聞記』で、遊女は25歳になると

「尊敬すべき婦人としてもとの社会に復帰する」し、「彼女らが恵まれた結婚をすることも珍しくはない」。遊女屋は「公認され公開されたものであるから」、遊女は社会の軽蔑の対象にはならず、「日本人は夫婦以外のルーズな性行為を悪事とは思っていない」

と述べているほどです。

そうした指摘はオランダ商館の医師として1775~6年にかけて出島で暮らしたツュンベリにも見られ、長崎にある遊郭について『江戸参府随行記』で、法律やお上が認めているこうした場所は、みだらな隠れ家とも卑猥な出会いの場所ともみなされていない旨を述べています。

そんな風に幕府から保護され、社会からも恥とみなされていなかった売春制度でしたが、やはり様々な弊害と悲惨を内包していました。

1862年に英国公使館の医官として日本に赴任したウィリスは、英国外務省に提出した報告書で以下のように述べています(コータッツィ『ある英人医師の幕末維新』)。

遊女は一般に二十五歳になると解放されるが、たいてい妓楼主から借金を負うはめに陥り、本来の契約期間より長く勤める場合が多い。彼女らの三分の一は、奉公の期限が切れぬうちに、梅毒その他の病気でタヒ亡する。江戸では遊女の約一割が梅毒にかかっているとみられるが、横浜ではその二倍の割合である。梅毒は田舎ではまれだが、都市では三十歳の男の三分の一がそれに冒されている。(『逝きし世の面影』p329)

性病の蔓延が甚だしかったわけですね…そんな悲惨な状況が伴う公娼制度でしたが、当時の日本社会では肯定的な位置を与えられていたことに、欧米人たちは驚いたのでした。

もちろん、道徳的に全く問題がないとされていたわけではなかったようですが、裸体や混浴と同様、売春にも欧米社会におけるそれとは違った認識、社会的意味合いを持っていたことがうかがえます。

貧しい親を救うための献身的行為として、身売りされる当人が嬉々としている様子を見た外国人が何人も存在するように、当時の売春が日本人にとって独特の意味を持っていたのは確かだと思います。また、娯楽が少なかった当時の日本においては、そうした公娼や、東海道中でお馴染みの飯盛り女などは、幕府が安定した統治を行ううえで保護すべき存在だったのかもしれません。

「当時、日本ほど女性が1人で旅しても危険や無礼な行為、侮辱的扱いを受けない国はなかった」旨を、イギリス人探検家イザベラ・バードが述べていますが、そうした諸外国では信じられないような治安の良さと、女性の尊重があったのも、性的な抑圧(それ以外の抑圧もだと思いますが)が少なかったことと無関係でないような気がしています。

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奨学金完済を目指しながら、旅、食、自然、心理、(セミ)リタイア、海外移住など追求して自由に暮らしています。

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